宮崎大宮高等学校
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リベラルな校風と自主自律

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A liberal school environment encouraging independent learning and responsibility




宮崎大宮高等学校のホームページへようこそ!

 本校は、明治21年に設置された宮崎県尋常中学校に源を発する、124年の歴史と伝統をもつ高校です。この間、約4万7千名の方々が、この学舎を卒業され、県内はもとより国内外の各界、各方面で活躍されています。

 学校の近隣には、宮崎神宮や県総合博物館・美術館・図書館・芸術劇場等の文化施設があり、学習環境に大変恵まれた所にあります。

 現在、各学年、普通科9学級(第2学年は8学級)と文科情報科2学級が設置され、全校32学級、1295の生徒諸君が、「自主自律」「質実剛健」のモットーのもと、「高き夢」実現に向け、学業に日々勤しんでいます。一方、部活動や生徒会活動なども大変盛んで、部活動・同好会への加入率は、各学年とも80%を超え、県内外の各種大会で多数入賞するなど、すばらしい成果を収めています。             

 校歌に謳われる「真理を探り、美にあこがれ、体を鍛え善を行う」活動を通して、自分に自信と誇りをもち、ふるさとを愛するとともに、柔軟な国際感覚と国家及び社会に貢献する気概と力を備えた、知・徳・体の調和のとれたたくましい人材を育成することを教育方針に、今年度の重点目標として、

  1.「学習の質」の実践による生徒の進路実現

 2.大宮精神の具現化等によるキャリア教育の推進

 3.情報収集・発信の充実と情報の共有化による信頼される学校づくり

 4.評価制度の活用と職員研修の充実による学校力・教師力の向上 

を掲げ、職員102名がこころを一つにして、生徒が満足し、保護者や県民に信頼される学校づくりに邁進しています。

  中学生の皆さん、皆さんも宮崎大宮高等学校で、勉学に部活動に若きエネルギーをそそぎ、はつらつとした高校生活を送りませんか。

 同窓生の方々や地域・県民の皆様、機会がございましたら、ぜひ宮崎大宮高校にお立ち寄りいただき、生徒達の生き生きとした諸活動のようすをご覧下さい。

  平成24年4月1日  


Modified : 2012-04-26

PTA総会  【校長挨拶】    平成24年4月22日(日)


 おはようございます。本日は、足元の悪い中、朝早くから、また、遠方からおいでいただき、本当にありがとうございます。そして又、かねてより本校の教育活動にご理解とご協力をいただき感謝申し上げます。
 「ツツジが見頃の季節」4月の今、口蹄疫から2年目、東日本大震災からほぼ1年になりますが、あの経験、また教訓を忘れることなく、まずは「自分の命は、自分で守る」ことを、常日頃から心がけておくことの大切さを知ることができました。
 私はこのたび、12年ぶりに本校に帰って参りました「有枝」と申します。平成元年度、文科情報科ができた年から、平成11年度まで、11年間勤めておりました。
  4月4日の「新入生オリエンテーション」では、生徒により企画運営された「部活動紹介や校歌指導」に、そして入学式直後に行われた「生徒会入会式」では、応援団のバンカラな風貌やエールぶりに、長年脈々と受け継がれた大宮精神である「自主自律」、「質実剛健」を、改めて感じることができ、「わくわく感」とともに「元気」をもらったところです。

  大宮高校の校風や現状そして社会的な役割等については、先日の入学式「式辞」で、15分間も時間をいただき、述べさせていただきました。その内容は、本校ホームページに掲載させていただきましたので、お暇な時にご覧いただければ幸いです。
 それでは、学校経営方針等について述べさせていただきます。
   [PTA総会資料 28ページ]をご覧ください。これは、昨年度分ですが、下の方に数字があります。4点満点による「自己評価と外部評価」ですが、生徒・保護者も参考にした職員による「自 己評価いわゆる内部の評価」が、厳しい状況にあるようです。それだけに、これまでの取り組みを、基本的に継承していくことの責務を重く受け止めているところです。そのことを踏まえて、29ページに、本年度の「学校経営ビジョンおよび重点目標」を設定しました。
 【教育方針】は、昨年度までと同じです。ご覧ください。
 【学校経営ビジョン】も、昨年度までとほとんど同じですが、4の文言を少し変えて、「開かれた学校づくりと対話を通して」にしました。では、なぜ、昨年度までとほとんど同じかといいますと、概ね、次の4点が根拠でございます。
  1点目は、本校が、創立124年を迎え、本校の教育活動はたえず県民から注目され、高い関心を寄せられている伝統校であることです。
 2点目は、本校は、旧制60年、新制60年を節目とし、このたび3年前の平成21年度「普通科高校通学区撤廃」により、本校入学生の学力レベルが上昇するなど、変化が生じてきたことを背景に、「大宮高校第三の時代」の幕開けとなったことです。
 3点目は、そいう生徒諸君の「人間的成長、進路実現」を期すことを含めて、名実ともにそなえた「伝統校大宮」の更なる発展を期して、多面的な視点で、ハード・ソフトの両面から、全校挙げて取り組みはじめていることです。
 これについて具体的に申しますと、2年間かけて「大宮事業仕分け」を行い、行事や模擬試験の精選等を進めて参りました。生徒にとっては、自分で考えて行動する時間を創造(クリエイト)すること、また、職員にとっては、「生徒と向き合う時間や教材研究など授業の充実」のために使える時間を創造することなど、「量から質への転換」を図ってきましたが、今年は「その実践」の年になり、2年目の取り組みとなる「大宮学びの時間」や「ノーチャイム」等は、その例でございます。
  最後に、4点目ですが、グローバル化が急激に進んでいる現代社会において、未来を切り拓き、心豊かにたくましく生き抜き、かつリーダー的存在として求められる資質は、「自主自律」「質実剛健」等の大宮精神に合致していることです。
  以上、4点が、概ね根拠となります。

 次に、【ビジョン実現のための重点目標】のポイントを申し上げます。
1.「学習の質」の実践  のポイントは、「させられる学習から脱却し、自主的、 探究的な学習への転換と挑戦をさせる」ことです。
2. キャリア教育の推進  のポイントは、「生徒諸君の社会的・職業的自立に向けて必要となる力を育てる」ことです。
3  情報収集・発信の充実と情報の共有化  のポイントは、「先生が生徒に向き合う時間を増やすこと、家庭、地域等との連携を深める」ことです。
4. 評価制度の活用と職員研修の充実  のポイントは、「教師力・学校力を向上させること」であります。

 さて、次に2つだけ、「日常的に是非心がけて欲しいこと」として、生徒諸君に訴えたことがありますので、お知らせします。
  一つ目が「『明るく元気なあいさつ』と『校内の美化』」です。コミュニケーションの第一歩は、「あいさつ」からですので、「あいさつは、自分からを心がけよう」ということで、「校内の美化」は、まずは「清掃」です。良い環境で学べることへの感謝の気持ちを、「心をこめた清掃」で表そうということです。
  二つ目は、「Think Globaly Act Localy」で、物事を地球規模で考え、行動は足元から(当たり前のことを当たり前に行う)」ということです。これからの「グローバル社会」を、たくましく行き抜くことができるように、という思いをこめております。

 最後になりますが、私、本校に着任して3週間が過ぎました。
 早朝から、学校周辺をきれいに清掃し、生徒・職員を気持ちよく爽やかな挨拶で迎えてくれる大宮生、教室廊下はもとよりトイレの便器まで心を込めて清掃している大宮生の姿などに、誇りを感じると同時に、そういう心豊かで、思いやりを持った子供さんを育んでいただいている保護者の皆さんに心から感謝申し上げます。
 生徒諸君が、感動と新たな発見を求めて登校し、一日の充実感を持って下校して、心休まるご家庭で十分に充電をしてもらうという「生活リズム」づくりを、保護者の皆さんとともに、連携しながら取り組んでいけたらと思います。 
  私たち教職員一同、心ひとつにして、子供さんの人格の完成を目指して取り組んで参りますので、今後とも、ご支援とご協力をお願い申し上げ、「校長あいさつ」とさせていただきます。


Modified : 2012-04-26

平成24年度 入学式 式辞

 さまざまな花が、彩り美しく咲き乱れ、正に百花繚乱、春の躍動の中に、万物の新たな息吹を感じる今日の佳き日、本校PTA会長 三好慎一郎様、弦月同窓会会長 青木賢児様をはじめ、多数のご来賓並びに保護者の皆様のご臨席を賜り、新入生449名を迎えて、平成二十四年度宮崎大宮高等学校の入学式を盛大に挙行できますことを心より喜んでおります。
  普通科365名、文科情報科84名の新入生諸君、入学おめでとう。保護者の皆様にも心よりお祝いを申し上げます。新入生の皆さんは、学業、部活動その他いろいろな活動に励みながら中学校の義務教育を終え、厳しい入学試験を突破されて、今日新しい気持ちで高校生活のスタートを迎えることができました。これまでにその陰には、ご家族、先生、地域の方々など多くの人の支えがあったことでしょう。多くの方々のご支援と皆さんのこれまでの努力によって、本日本校にめでたく入学された皆さんを、在校生並びに職員一同、心より歓迎いたします。                         

 さて、本校は、創立124年を迎え、これまで各界において、多くの有為な人材を輩出しており、本校の教育活動はたえず県民から注目され、高い関心を寄せられている伝統校であります。1888年(明治21年)宮崎中学校設置からの旧制60年、1948年(昭和23年)宮崎大宮高等学校発足からの新制60年を節目とし、このたび3年前の平成21年度普通科高校通学区撤廃を機に、「大宮高校第三の時代」の幕開けとなりました。現在、名実ともにそなえた「伝統校大宮」の更なる発展を期して、多面的な視点で、ハード・ソフトの両面から、全校挙げて取り組んでいるところです。そして、そのベースとして根底に流れているのが、本校の校是である「自主自律」であります。
  本校のホームページに、校是「自主自律」が掲載されています。「稚心を去れ」、「質実剛健」、とこの「自主自律」が、脈々と続いている「大宮精神」です。「第三の時代・サード・ステージ」開幕に合わせ、この「自主自律」を基本とした学校づくりこそ、グローバル化が急激に進む世界を視野に入れた、宮崎県の人づくり施策である「未来を切り拓く、心豊かでたくましい宮崎の人づくり」にも合致しているものと確信しております。

 それでは「自主自律」とは、具体的にはどういうものでしょうか。「当然すべきことを、周りから指図されたり、人の力を借りずに、自ら進んでする」自発的な行動を「自主」と言い、「他の力に縛られたり、頼ったりすることなく、自分で決めた規律に従って行動し、我がままを抑える」ことを「自律」といえましょう。たとえば、あの甚大な被害をもたらした「3.11東日本大震災」の復興支援の様子を見て、「自分も人のために社会のために何かしたい」と思って、高校生活において学級役員や生徒会総務委員等に自主的に立候補すること、また、学校や集会等に遅刻することは、集団の雰囲気を乱す行為なので、人間としてしてはいけないマナーとして自制することなどは、正に「自主自律」の行動です。
  新入生の皆さんは、この自主自律を裏づけにもつ「おおらかで自由な校風」の大宮高校を選んでくれました。このすばらしい校風を守り続けるいくためには、皆さんの社会的な常識・マナー、良識、そして創造性や判断力など、人間として必要な資質の向上に日々努めていかなければなりません。私たち教職員も、皆さんの人間的な成長を願って接して参ります。

  ところで、学校教育の目標は、「生徒の全人格形成に資すること」であり、その基本となる教育活動には「教科活動」と「特別活動」があります。それらは、自動車でいえば正に「車の両輪」であり、同じ大きさでなければなりません。「特別活動」には、学校行事、HR活動、生徒会活動、部活動の領域がありますが、ここで「教科活動」について、先ほどの「自主自律」の観点で少し触れてみます。
  新入生の皆さんは、自分のことをしっかりと見つめ、将来の夢実現に向けてどういう進路がいいのかを考えた上で、大宮高校を、そして普通科または文科情報科を選択されました。将来を見据えて、志高く、人格を磨き、勉強をしていく過程の中で、高校生活の次のステップである「大学生活」は、これからの長い人生の一つのスパンとして、実に意義のある重要な部分であることに疑いの余地はありません。皆さんの3年後の状況をイメージしてみて、「大宮高校に入学して良かった。充実した高校生活が送れて、次のステップに進むことができた」と言えるように、もう少し具体的に触れてみたいと思います。
 現在、日本の大学進学状況を見ますと、ただ大学に行きたいのであればだれでも入学できるという数字上の「大学全入時代」に入っています。しかし、大宮高校に入学した生徒の皆さんが志望する大学は、今後も引き続き、皆さんと同等の高い学力を持っている人たちばかりですので、平均して3倍程度の入試倍率は変わらないと思われます。そういう難関を突破していくためには、どうしても質の高い学習すなわち「させられる学習から自主的な学習」が必須です。自主自律の大宮精神にも基づく「自主的な学習すなわち自学自習」が習慣化できれば、学問の深さ面白さがわかり、気がつけば着実に学力アップしている自分に気づくはずです。これまでの皆さんの学習に対する心構えや取り組みを、レベルアップする必要を迫られる人がほとんどでしょうが、皆さんはきっとそれができる人たちばかりです。あわてず、あせらず、友達と切磋琢磨しながら、自分のペースをつかんでいきましょう。とは言っても、おそらく困ったり心配したりすることがでてきますが、そのときには遠慮せず私たちに気軽に相談してください。待ってます。私たち教職員も、今年度は「『学習の質』の実践」を重点目標にして、皆さんとともに取り組んで参ります。

  それでは、次に2つだけ、日常的に是非心がけて欲しいことを述べます。
  まず一つ目が「『明るく元気なあいさつ』と『校内の美化』」です。
皆さんは「キャリア教育」と言う言葉を中学校で聞いたことがあると思いますが、一言で言えば、「一人一人の社会的・職業的自立に向けて必要となる力を育てる」ことです。現在、大きな社会問題となっている「高校や大学卒業後の早期離職者が多いこと」の理由が、「人間関係」や「社会や経済の仕組みなどについての理解」等に起因していると言われています。私たちは、このことを踏まえ、教育活動全体で「キャリア教育」を意識化した上で、まずは「自立した人間としての態度・マナー」をしっかり身につけさせるべきだと考えております。日本経済団体連合会の「新卒採用に関するアンケート調査」によると、「選考にあたって特に重視した点」の最上位は「コミュニケーション能力82%」で、次いで「主体性61%」となっています。コミュニケーションの第一歩は、「あいさつ」からです。人から「おはよう」とあいさつされれば、とてもうれしいし、即「おはよう」と返し、気分よく一日がスタートします。ですから、周りの人を気分よくさせるためにも「あいさつは、自分から」を心がけましょう。「校内の美化」については、まずは「清掃」です。「良き人は、良き環境からつくられる」と言いますが、良い環境で学べることへの感謝の気持ちをもって、「心をこめた清掃」に心がけましょう。教室がそして校内がきれいであれば、心が落ち着き、気持ちよく学校生活が送れることは当然のことです。皆さんの今日からの学び舎を、一人一人の心がけで、明るく元気なあいさつのもと、心の落ち着く美しい学習環境にしようではありませんか。
 二つ目は、「Think Globaly Act Localy」です。「物事を地球規模で考察し、行動は足元から(当たり前のことを当たり前に行う)」ということです。今や、「グローバル社会」といわれ、政治、経済、文化など全ての面で、日本という国の枠を超えて考え行動しないと解決しない時代に入っています。足元である日本そして故郷のことを理解し、人間としてのルール・マナーをしっかりと身につけてこそ、そういう社会にたくましく行き抜くことができると思います。読書により視野を広げ考えを深めつつ、大宮高校で出会った人との切磋琢磨もまた、自主自律につながる「Think Globaly Act Localy」の礎になることと確信しております。

  以上、2つの心がけをお願いしました。大宮精神に「稚心を去れ」と言う言葉があり、本校の図書館玄関の石庭にも刻まれています。幕末福井藩の志士で15歳「橋本左内」が著した「啓発録」の中での、五項目の誓いの一つであります。「幼稚な心、甘えた心、わがままな心と決別し、高い目標をもち、友と切磋琢磨し勉強をする決意をせよ」と言うことです。15歳といえば「大きな子どもから小さな大人への脱皮の節目」であります。今日から小さな大人として一歩成長する子どもさんを、保護者の皆様と私たち教職員がともに手を携え、愛情を持って温かくそして厳しく見守り育てていきましょう。

  最後になりますが、日頃より本校の教育活動に対し、温かいご理解とご支援をいただいている関係各位に対し、感謝とお礼を申し上げ、式辞といたします。 

                    平成二十四年四月十日


Modified : 2012-04-26

平成23年度3学期終業式 校長講話

皆さん、こんにちは                 

  平成23年度の終業日を迎えましたが、昨日の遠歩会、お疲れさまでした。

 どうですか。歩く喜びがわかりましたか。春の空気を満喫しましたか。そして、帰り着いて「やった!」と達成感を味わうことができましたか。
 昨日は、菜の花がきれいに咲き、すみれもいっぱい咲いていて、よく見ると土筆も顔を出していましたね。上空ではひばりがさえずり、早、田植えをしている田圃もありました。日焼けするくらい天気もよくて、春の一日を十分愉しんでもらったと思います。
  遠歩会は、お別れ遠足的なものですから、「遠く歩く会」ではなく「縁を保つ会」と書いたらどうかと提案しているのですが、今のクラスの友達とのいい想い出づくりができたらよかったです。

  話しは代わりますが、先日の卒業式、参列された皆さんから大変褒めていただきました。「昨年の自分の子どもの時よりも感動して涙が出た」とか「送辞、答辞、そして歌もすばらしかったが、生徒たちの立ち居振る舞いがすばらしかった」とか、宮大の先生には「日本の高校の最高レベルだ」とまで言っていただきました。中学校の校長先生からは「帰って、生徒たちに大宮高校の卒業式のすばらしさを伝えました」と話しがありました。嬉しい限りです。これは、卒業生だけでなく、皆さんを含めて、大宮高校全体の日頃の取り組みの成果ですし、伝統の力でもあると思います。

 さて、今日は、一年の終業にあたり、「私」と「公」について話をします。
 昨日の朝日新聞にも取り上げてありましたが、この一年は、3.11の大震災を通して、人と人のつながりの大切さを実感した一年でした。被災地で互いに助け合う姿が世界各国から称賛されたり、昨年の世相を表す漢字として、「絆」が挙げられたりもしました。
  「絆」というのは、「断つことのできない人と人との結びつき」のことで、人間関係がだんだん希薄化していく中、その大切さが叫ばれていたことです。3.11の大震災で強く意識されましたが、今回のような大きな苦難の時だけのことではなく、日常の生活の中にちょっとした「絆」がいっぱいありますね。                   
 「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますが、狭い通りで向こうから人が来たら少しよけてやる。そこにも小さな「絆」があるでしょう。いま、病院の待合室なんかで、名前を呼ばれたとき「ハイ!」と返事をする人はほとんどいませんが、病院に行って受付に名前を書いたときに、すでに「絆」は発生しているし、名前を呼ばれたら、その「絆」はさらに強くなったと思うのですが、どうでしょうか。

 私は、これまで「ノブレス・オブリージュ」とか、「まずは市井の人であれ!」など、今日の話しに類することを何度となく話して来ています。なぜ、この話をまたするかと言いますと、先ほど話したように、大宮高校は大変すばらしいと褒められる。県代表として九州や全国で活躍する部活動やいろいろな全国レベルの賞をもらう人もたくさんいます。
 しかし、どうでしょう? 一方では、一部の人かもしれませんが「交通マナーが悪い」「バスマナーが悪い」という叱責の声も聞かれます。「いや、うちの生徒だけはでなく、近頃の高校生は、どこの生徒もみな交通マナーが悪いですよ」「若者の規範意識が低下していますからねえ」と言ったら、大宮の大宮たる所以が崩れるでしょう。「自主自律」を校是としており、大宮の宝と言われている生徒会があるんですから…。

 現代は、「個人」の時代です。個人主義が国や社会の原理とされている。それで「公」が後退し、「私」が横行しています。国家のレベルから向こう三軒両隣の生活のレベルまで、「公」の意識が弱くなってきています。「公」の場所のいたる所で、「私」が剥き出しになり、公衆道徳が失われつつあります。「絆」も弱まっています。

 「公」と「私」は相対する概念ですが、これ見てください。なぜかどちらも「ム」があるでしょう。字解を調べると、この「ム」は、元は、象が鼻で丸太を巻き付けたときの鼻の先のような形のこんな指事文字で、「包み込む」とか、「自分のためだけ考える」ことを表すようです。「公」は、その「ム」の上に、物が分かれて相そむく形を示す「八」が乗っかっていて、全体では、「自分を押さえて平等に分ける」という意味を示す字になります。一方、「私」は、「イネなどの穀物」を表す「のぎへん」に、さっきの包み込む意味を示す「ム」ですから、「穫れたものを独り占めする」という意味を示すことになります。
 どうでしょう? 往来で、交差点を「私」している人はいないですか? バスや電車で、座席を「私」したり、車中そのものを「私」している人はいないですか?       
 私は、現代は、「カプセル文化」隆盛の時代だととらえています。「カプセル文化」というのは次のようなことです。 
 現代は、家が洋風になって、各部屋はドア一つの出入り口で仕切られ、小さい頃から自分の部屋を持ち、遊びもパソコンゲームで事足り、ウォークマンやiPod(アイ・ポッド)のような自分ひとりの携帯プレイヤーを使い、電話も一人一台の携帯になり、外を移動するときも自家用車が多い。他の人と共用するものが減って、順番を待ったり、人の目や気持ちを気にする必要がない。自分だけの持ち物や空間に閉じこもって自分のペースで時間を過ごす。これを私は「カプセル文化」と命名したのです。       

 カプセル文化にどっぷり漬かって育ったために、人との相克が苦手だったり、意見の相違でぶつかったり、または、半分我慢したりしなければならないということがわからない、わかっていてもその術を知らないというような人が結構います。そして「みんなと一緒に生活できない」と悩んだりする。自分のカプセルの中なら、「私」を大いに発揮しても構いませんが、カプセルを一歩出たら、そこは「公」ですね。「私」と「公」の区別がしっかり付けられるようでなければなりません。

  20日の毎日新聞に「就職できない。3年以内に退職。大学生2人に1人」という見出しで、2010年春に卒業した大学生で就職できなかったり、就職しても3年以内に退職した割合が、中退者を含めて52%に昇ることが、内閣府が19日に公表した推計で分かったという記事が載っていました。そして、「新卒者の雇用環境が悪化したのは、企業に人材育成の余裕がなくなっているのに加え、海外進出が進んだ大企業が外国人採用を加速させているためだ」と書いてありましたが、私は、この遠因に、さっき言った「カプセル文化」で育った今の若者の精神的な幼さ・もろさ、協調性やこらえ性のなさがあるのではないかと思っています。

 時代の趨勢ですから、「カプセル文化」そのものを否定することはしませんが、そのような文化の中で育った、または今も生活しているという自覚は必要です。
 「カプセル文化」は大人たちがつくったんじゃないかと言いたい人がいると思いますが、自分の置かれた状況は、客観的にみておくべきです。      

  それでは、私の好きな言葉の一つを紹介して終わります。
   人生には、越えなければならない坂道がある。越えないと見えない風景がある。

  皆さんの来年度、新学期のいっそうの前進を期待します。

    平成24年3月22日


Modified : 2012-04-26
平成23年度 卒業式 校長式辞

  弦月庭園の梅も一輪、また一輪とほころび、そこ此処に新たな生命の息吹が感じられる今日の佳き日に、県教育委員会はじめ多くのご来賓、保護者の皆様のご臨席の下、宮崎県立宮崎大宮高等学校第六十四回卒業式を盛大に挙行できますことは、この上ない喜びであります。        

 ご来賓の皆様には、ご多用な中にご臨席たまわり、厚く御礼申し上げます。また、保護者の皆様、本日は、誠におめでとうございます。皆様のこれまでのご労苦に対し、深く敬意を表しますとともに、本校の教育活動に対しご理解とご協力をいただきましたことに対しまして衷心より感謝申し上げます。                 

 ただいま、卒業証書を手にした三百九十九名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんの門出を心から祝福いたします。                   
 皆さんの脳裏には、いま、この三年間の想い出が次々によみがえっていることでしょう。期待に胸を膨らませて大宮の門をくぐった日。部活動との両立に苦しみながら日夜勉学に追われた日々。「自主自律」のモットーの下、四校定期戦や弦月祭、体育大会、クラスマッチに打ち込んだ日々。合唱コンクールや応援合戦、部活の大会では、勝って歓喜の声を上げ、負けて悔し涙を流しました。楽しかったこと、苦しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、それらすべてが、皆さんの糧となり、皆さんを一回りも二回りも大きくしました。そして、これから次のステージへと踏み出して行きます。  

 いま、ここ彼処に社会の劣化が見られるようになりました。日本では、バブル経済崩壊後の経済の停滞が続き、その影響から抜け出せないままにこの度の大震災です。科学技術立国として誇ってきた工業力が、韓国、中国、インドなどアジアの国々に追われる一方、少子高齢社会のもたらす歪みや所得階層の二極化、地域格差の問題等が次第に顕著になりつつあります。これまで世界をリードしてきた我が国ですが、将来は決して楽観できるものではありません。 

 そのような二十一世紀を託され、担って行かなければならない皆さんに、所懐の一端を述べ、餞とします。

 一つは、「いつも謙虚さを忘れないでほしい」ということです。
 フランスに「ク・セ・ジュ」という言葉があります。この「ク・セ・ジュ」とは、モンテーニュが座右の銘にしたことでも有名な言葉で、「我、何んぞ知る?」という意味です。
モンテーニュは、近代科学主義の流れの中にあって、科学的知の限界を主張し、もっぱら自己省察に向かうべきと説きました。モンテーニュの科学知に対する懐疑的態度は、人間精神への深い信頼の念と表裏をなしており、各自、自らの人間性を吟味すべきとし、ソクラテスの「無知の知」に学ぶべきと説きました。ソクラテスは、「自分が知らないということを知っていること、自分は、何も分かっていないということを自覚していること」が物事の出発点であると考えたのです。

  昨年の大震災、原発事故に際して、「想定外」という言葉が多く使われましたが、それは、科学技術に対する過信の裏返しであり、知力の至らなさを言ったに過ぎません。過度に自信を失ったり、懐疑的になる必要はありませんが、私たちは、自然の前で謙虚であり、人々の前で謙虚でありたいものです。そして、何より自分自身に対して謙虚である必要があります。これからさらに専門性を高め、学問を究めていく皆さんが、時に「ク・セ・ジュ?」と呟く人であってほしいと願います。

 二つ目は、「運・鈍・根」についてです。
 「運・鈍・根」とは、事を為し遂げるために必要な三つの条件として挙げられるものです。運は、巡り合わせで、人との巡り合わせもその一つです。これから、活動の場が広がり、これまでとは比較にならないほど、様々な人との出会いがあるはずです。茶道の極意に「一期一会」というのがありますが、どうか、それぞれの出会いを大切にし、人の縁を大事にしてください。

 次の「鈍」とは、才走らないことです。人から愚直と言われるくらいにひたむきであることとも言えます。    

 寺田寅彦に、『科学者とあたま』と題する興味深い一文があります。概略、次のようなことが書かれています。
 よく「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」と言われている。しかし一方で「科学者は、頭が悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味では本当である。頭のいい人は、見通しが利くだけに、前途の難関が見渡せる。そのために一歩が踏み出せない。頭の悪い人は、楽観的であり、頭のいい人が考えて、初めから駄目と決め込んで掛かり合わないようなことを一生懸命に続ける。難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。やっと、それが駄目とわかる頃には、しかし、大抵駄目でない他のものの糸口を見つけている。科学の歴史は、ある意味では錯覚と失策の歴史である。頭のいい人は、批評家に適するが行為の人にはなりにくい。一身の利害に対して頭がよい人は戦士にはなりにくい。このような内容です。
 つまり、小才を利かせすぎると大きな才能の開花につながらないということでしょう。これは、科学者に限らず、一般にも通用する、大変、示唆に富む話しであります。

  最後の「根」は、ものごとに耐える気力、根気、根性のことを指していますが、私は、次のようにも考えます。
  「根」を根(ね)と考え、深く広くしっかり根を張らないと、きれいに花は咲かない。豊かな実りもない、ということです。「深く根を張る」とは専門性を高めること、「広く根を張る」とは豊かな教養と感性を身に付けることと捉えてください。

  また、「根本」の「根」とも考えます。
  自分が目指すことの根本には何があるのか、動機は何か、ということです。本日発行のPTA新聞『真美善』に、私は、「まずは市井の人であれ」と題して、巷の多くの人達の思いや願いがわかる人、その思いや願いを踏まえて行動する人であってほしいと書きました。そこに自分の思いしかなけば、自分では事を為したつもりでも社会的には少しも評価されないからです。

 これからの社会は、皆さんの双肩にかかっています。二十年後、三十年後は皆さんの時代です。どうか、高き夢を持ち続け、その実現に向けて謙虚に、運・鈍・根で邁進してください。

  最後に、大分県出身の社会教育家、後藤静香の『本気』と題する言葉、長嶋茂雄元監督が、東京ドームの監督室に掲げていたと言われる言葉を贈ります。

  『本気』                
   本気ですれば
    たいていの事はできる
   本気ですれば
    なんでも面白い
   本気でしていると
    だれかが助けてくれる   
   人間を幸福にするために
    本気ではたらいているものは
     みんな幸福で
     みんなえらい

 それでは、名残は尽きませんが、卒業生の皆さんの前途に幸多かれと祈りつつ、式辞とします。         
                                     平成二十四年三月一日 


Modified : 2012-04-26

平成23年度 3学期始業式 副校長講話

  新年 あけましておめでとうございます。

 皆さん、平成24年の輝かしい新春を、健やかに迎えたことではないかと思います。皆さん、元気そうですね。お陰様で、年末からの休業中に大きな事故等もなく、ここにこうして3学期の始業式を迎えられたことを本当に嬉しく思います。
 今日の始業式、何か違いますね。本来なら全学年が揃ってこの体育館に集合するはずですが、2年生がいませんね。2年生は、国外組が4日からカナダの方へ、国内組は昨日(9日)奥日光の方へ修学旅行として元気よく出発しました。校長先生も修学旅行中ですので、本日は副校長から皆さんにお話しします。

 昨年は、大変な年でしたね。宮崎においては、鳥インフルエンザ、口蹄疫、新燃岳の噴火、そして、日本においては、3月11日の東北大震災、大津波、福島原発の爆発がありました。また、一年を表す漢字として「絆」の文字もありましたね。東北においては、一刻も早く再生・復興が出来ることを願うばかりです。いろんな意味で考えさせられる一年でした。
 年が明けて平成24年、皆さん初詣にいきましたか。今年は昨年よりも参拝者が多かったようですね。昨年が大変でしたから、今年は、家内安全や安心を願う気持ちが強まったからでしょうか。今年、一年本校にとっても、皆さんにとっても幸福な一年であるよう願っています。

  さて、今日は年の初めにあたり皆さんに3つの事をお話ししたいと思います。

 まず、一番目に、「一隅を照らす」ということです。
この言葉は、平安時代に比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄の「山家学生式(さんげがくしょうしき)」にある言葉です。『山家』の漢字は山・家と書き、『学生』は、学び・生きる、『式』は式典の式と書きます。「山家学生式」の正式な名称は、《天台法華宗年分学生式》というものです。伝教大師・最澄は、天台宗を開くにあたり、熱意を込めてこの「山家学生式」を著しました。それは、人々を幸せに導くために「一隅を照らす国宝的人材」を育成したいとの願いで書かれたとのことです。
 最澄は、人間はそれぞれ「一隅を照らす」存在だと言っています。「一隅」とは、いまあなたのいるところのことを意味しています。いま存在している「自分の立場」、家庭や社会の環境の中で「自分自身が置かれた場所・立場」のことを言うのですね。
 
 いま、皆さんは「学生・生徒」という立場ですね。「照らす」とは、当然、「光で明るくする」ことですよね。
 ですから、「一隅を照らす」とは、その人その人が、家庭や社会の中で、自分自身の置かれた立場で、精一杯努力し、明るく光り輝く人になることを言っているのです。その立場立場に於いてなくてはならぬ人になることなのです。
 
 人は、かけがえのない命を授かっています。また、誰もが何らかの使命を果たすために、この世の中に生まれてきたともいいます。皆さん、ひとりひとりは、それぞれに、この人類にとって、かけがえのない大切な役割を持っているのだということなのです。
 いま、皆さんは学生という立場ですから、その立場で、一生懸命勉学に励んでもらいたいと思います。人をうらやんだり、自分を卑下することなく、自分を信じて自分の場所、自分の立場でベストを尽くして生きることが、あなた自身を光り輝かせることになるのです。 あなたが光り輝くことで、隣の人も輝き、学校も光ってきます。やがて、町や社会、そして日本、世界が光り、この地球を人類を照らすことになるでしょう。 
 
 ところで、3年生は、センター試験を間近に控えて、今、ラストスパートで頑張っていますが、これまでに、推薦で受験する生徒の面接指導をする機会がありました。また、3年生の諸君に、折に触れては、将来何になりたいのか、どんな大学を目指しているのか尋ねていました。
 ほとんどの生徒が、将来自分が就きたい仕事のことや、そこでの目標などを話してくれましたが、ある生徒は、しっかりと自分の将来を見据えて、使命感をもって堂々と語ってくれました。しかも、それは自分のためではなく、地域社会や人の幸せ、ひいては人類の幸せに結びつくものでした。私は、高校3年生で、ここまでしっかりしているのかと感心するとともに、大宮高校にこのような「一隅を照らす」人物がいることに大変誇りを持ちました。どうか、皆さんも「一隅を照らす」存在として努力して欲しいと思います。

 次に、「あいさつ」のことについて、私の考えていることを話したいと思います。2学期の終業式の時、生徒指導部から「あいさつ」について、大変すばらしく、為になるお話をしてもらいましたが、皆さん、その後「あいさつ」の実践は心掛けていますか。

 「あいさつ」を辞書で調べると、「人と会った時や別れる時にやりとるする社交的な言葉や動作」となっていますが、これからは私の経験からの話をしたいと思います。
 私は7才で父を亡くしましたが、父の最後の言葉が、「人にはあいさつをしなさい」でした。私は、「あいさつ」を父の遺言と思って、これまで「あいさつ」をしているのですが、私の場合「あいさつ」の対象は、人だけではありません。動物、植物など命あるものだけでなく、命のない物まで、全てが対象になります。

 本校には、玄関や廊下などに、環境整備部のお陰で、美しい花があふれています。副校長室にも美しい花があります。
 毎朝、ドアを開けて部屋に入ると、シクラメンの花や壁に掛かった2枚の絵などが私を迎えてくれます。毎日、「おはよう」と声をかけます。
 シクラメンには、「今日も美しく咲いて私を迎えてくれて有難う」と挨拶をするのです。すると、シクラメンの花は、更に美しく私にほほえみかけて「今日も良い日でありますように」と語りかけてくるように思えるのです。
 2枚の絵も同じです。本校の3年生の作品で、バイオリンの描かれている静物画、油絵からは、挨拶をすると、美しい旋律が流れてきますし、本校の大先輩で有名な画家の描いた双石山や鰐塚山の水彩画からは、「癒しと勇気」のメッセージが送られてくるのです。
 
 また、私は、車に乗る時には、必ず車にも挨拶するんです。「今日も交通安全でよろしく」と。それから、私は通勤経路として火葬場の道路を通ります。そのため、よく霊柩車と出会うことがあるのですが、その時は、必ず心の中で亡くなった人へ「哀悼」の挨拶をしています。
 
 さて、みなさんはディズニーランドを知っていますよね。2年生は、いま修学旅行でディズニーランドに行ってる頃だと思いますが、皆さんの中にも、行ったことがある人がいると思います。
 そこのトイレ清掃担当者の話です。ディズニーでは、閉館した後、夜遅くまで清掃をするのですが、その担当者は、とても怖くて寂しいし仕事が辛いので辞めようかと思っていたそうです。その頃、ディズニーでは、研修があって、その人は、本拠地アメリカのデイズニーランドに行って同じトイレ清掃の担当者と話すことが出来たそうです。そこで相談したところ、アメリカの担当者は、「僕は清掃がとても楽しいよ。便器に挨拶をするんだ。便器にはみんな名前があって会話をするんだよ。トム、ジェリー、ミッキーとかいるんだ。汚れている便器を見ると、トム、今日はとても頑張ったね。きれいにしてあげるよ・・・」などと、楽しそうに答えてくれたそうです。
 その後、日本の担当者も便器に名前をつけて、挨拶を行ってやったところ、仕事が楽しくなって、結局は辞めなかったということです。
 
 ところで、皆さん「あいさつ」を自分からしたのに、相手から「あいさつ」が返ってこないことがありますよね。その時、皆さんはどのように思いますか、また、どのような態度をとりますか。
 例えば、先生に挨拶したとしましょう。そこで、
 ①折角、こちらから挨拶したのに、あの先生は挨拶を返してくれない。もう、あの先生には挨拶はしないようにしよう。 と思う人。
  ②その時は何かあって挨拶が返らなかったんだ。2、3回、挨拶してみよう。そこでも挨拶が返ってこなかったら、挨拶はしないようにしよう。 という人。
  ③挨拶が返ってこなくても良い。いつでも気持ちよく挨拶していこう。 という人。 

 さて、皆さんは、①②③のどの立場をとりますか。時と場所、また相手にもよるかもしれませんが、今まで私が赴任した高校での経験からすると、①が少数、②の人がほとんどで、③も少数の生徒でした。大宮高校ではどうでしょうか。
  皆さん、挙手してください。
  ★挙手 ①の人  ②の人  ③の人  はい、ありがとう。

 私のことで恐縮ですが、私は③の立場で行動してきました。といっても、中学校時代は②の立場だったのですが、父の遺言を思い起こして、③の素晴らしさに気づいたのです。
 ①も②も、自分から挨拶をしていいことをしているのに、なぜ自分から、いいことを辞めてしまうようにするのでしょうか。確かに気持ちは解ります。
 何故でしょうか。それは、相手からの挨拶を期待しているからなのです。「見返りを望む愛」「期待する挨拶」だから、自分で独り相撲を行い、自分を良くない方向へとしているのですね。「あいさつ」を自分からしないことは、自分自身の徳を失うことと同じだとと気づいたのです。
 このことは、相手が自分にとって大切な人ほど、高まってきます。ですから、「可愛さ余って憎さ百倍」や「嫉妬の感情」などが起こるんですね。
  では、③は、どういうものでしょうか。挨拶が返らなくても挨拶していく立場ですから「無償の愛」なのですね。この「無償の愛」は「母性愛」にもつながる素晴らしい行動なのですね。ですから、私は、この「あいさつ」が、「自分を高める修業になる」と、高校時代に思ったことでした。
 実際、私は何度も経験しましたが、不思議なもので、③の立場で「あいさつ」をしていると、普段「あいさつ」が返ってこない人からも、いつかは必ず「あいさつ」が返ってくるようになりますね。私の経験からすると、最高が約半年でした。
 どうですか。どうぞ、皆さんも、「無償の愛」で自ら「あいさつ」のできる人になって自分の心を磨き、高めて欲しいと思います。

 さて、三番目の話は、「あおいくま」=ブルーベアー   についてです。
これを見てください。       ★模造紙を提示  
  空白の部分には、どんな文字が入ると思いますか。考えてみてください。

 はい、そうです。
①は「あせるな」、②は「おこるな」、③「いばるな」、④「くさるな」、⑤は「まけるな」です。この頭文字が、つまり「あおいくま(青い熊・ブルーベアー)」なんですね。
 皆さんの人生で、この「あおいくま」を実践してみてください。きっと、いろんな事で豊かな成功体験をすることになると思います。
 一つ一つの詳しい説明は省きますが、ポイントだけ皆さんに伝えておきたいと思います。

 ①の「あせるな(焦るな)」ですが、
 「焦る」と「急ぐ」は違いますね。「焦る」は心のゆとりがないことです。「焦る」行動は、時として心を失います。「焦って」もすぐには解決しません。「焦り」をなくするには、しっかりした計画性や下準備が必要です。また、全体と部分、囲碁の言葉で「着眼大局、着手小局」の実践も大切ですね。常に、沈着冷静でありたいものです。         

  次に、②は「おこるな(怒るな)」です。
  感情的な自分の気持ちを発散するのが「怒る」という行為です。これが行き過ぎると暴力的になる恐れがあります。注意したいですね。「怒る」を「叱る」と同じと考えないでください。まったく違います。「叱る」は「叱咤激励」の言葉があるように相手の成長のためにとる行動なのです。自分の感情を発散する「怒る」行為は、健康にも悪いですね。特に高血圧の人、実は私もそうなのですが、高血圧の人が怒ると、感情の爆発だけでなく、血管も爆発して命取りになることもありますから、本当に注意したいですね。
 しかし、人間「怒る」感情が出ることはありますよね。そのときには、それを発散するものを用意しておくといいですね。普段から平常心を保つこと、また、不快なことがあっても、それをプラスに考えて行動するよう心掛けることがいいと思います。
  
 続いて、③の「いばるな(威張るな)」です。
 「威張る」とは、必要以上に、偉そうな、あるいは強そうな様子をしてみせる事です。威張っている人を皆さんどう思いますか。そういう人がいると嫌ですよね。何故かというと、威張る人は、時に相手を軽蔑するようなことがあるからだと思います。自分に「自信」を持つことはいいことですが、自信過剰になって自分を過信していくと、この「威張る」ことになることがあるようです。ですから、分相応に行動していくことが大切だと思います。

  ④は「くさるな(腐るな)」ですね。
 食べ物で「腐った」ものは、食べられませんよね。新鮮なのがいいですよね。「ふて腐れる」という行為には、反抗的な行動も見られますが、どうも近寄りがたいですね。「腐らない」ように常に新鮮で、生き生きとした行動が大切ですね。

  そして、⑤の「負けるな」です。
  これは、「勝て」という意味ではありません。「勝て」となると、相手の存在を無視したり、手段を選ばずあの手この手で「勝とう」ということになることがあるのです。相手を蹴落としてでも勝とうとする行為は卑劣きわまりないですよね。この「負けるな」は、相手を尊重しつつ「負けまい」とする行為で、切磋琢磨の意味を持っています。また、対象が人だけでなく自分自身の煩悩や悪い欲望といった邪悪な心にも「負けないように」という意味なのです。私自信、個人的には、この「ま」の「負けるな」が最後にあるのは、この言葉が人間を成長させる原動力となる重要なことだからではないかと思っています。

 どうですか、皆さん、「あおいくま(ブルーベアー)」のこと理解できたでしょうか。
実は、現在活躍しているある有名タレントが、この「あおいくま」のことを、「お父さんからもらった言葉だ」といって、日々実践しているとのことを、テレビで見たことがあります。また、ちなみに我が家では、この「あおいくま」の言葉は、30年前からトイレに掲げてあり、家族中で「あおいくま」を知っています。
 
 実は、この「あおいくま」のことを、江戸時代には、「おい、あくま(オイ、悪魔)」と、言っていたそうです。もし、怒りっぽい人は、「おい、あくま」として、「怒るな」を最初に意識するといいかもしれませんね。

  以上、今日は、皆さんに「一隅を照らす」人材になって欲しいこと、「あいさつ」をしっかりと実践して欲しいこと、「あおいくま」で人生を切り開いて欲しいことをお話ししました。

  最後に、締めの学期となるこの3学期、及び、平成24年という新しい年が、大宮高校にとっても皆さんにとっても、幸運な飛躍の年となるよう祈って、始業式の講話を終わります。


Modified : 2012-04-26

平成23年度 2学期終業式校長講話 

 皆さん こんにちは
 ようやく冬らしくなって、2学期の終業日を迎えることになりました。
 平成23年も、余すところ9日です。

 今年は、東日本大震災が起こり、福島原発事故が誘発されて、被災地だけでなく日本中が大変な事態となりました。そして、これまでの生活の有り様を問い直すことを迫られたり、「絆」という言葉が盛んに叫ばれたりして、当たり前であることの有り難さや人のつながりの大切さを改めて実感した一年でした。今年は、と言うより[3.11]は、と言った方がいいかもしれませんが、後々、歴史の大きなターニングポイントだったと位置づけられるのではないかと思いますが、皆さんにとってはどんな一年だったでしょうか。   

 2学期を振り返れば、弦月祭・体育大会に始まって、高文祭、新人戦、芸術鑑賞教室など、挙げていくと切りない程たくさんの行事もありました。これらの行事を通して、日頃の授業や部活動等とは違う収穫があったものと思います。 

 さて今日は、グローバル化ということにしぼって話しをします。       
 グローバル化の中で、パナソニックや日立、ソニーなど、新規採用で外国人枠を拡大している企業がどんどん増えているという話しを始業式でしました。         

 いま、国では、グローバル人材の育成が大きな課題になっています。まだ概算要求の段階の話ですが、文科省では、厳しい財政事情の中で、今年より約500億円くらい増額して、約1,400億円の予算を計上して、来年度、いろいろな施策を打とうとしています。

 グローバル化が叫ばれているのに、「閉じこもる日本人」と揶揄する言葉があるように日本の若者はなかなか海外に出ようとしない。留学者が少ない。といったことが問題になっています。先日、旭化成延岡支社の前支社長の水永 正憲さん、現在、本社で取締役常務執行役員をなさってますが、この方の『大学生就活最前線から見えてくるもの』と題した講演会がありました。その中で、今の若手社員は、「誰か海外に行かないか」と募集をかけてもなかなか希望者が出て来ない。以前は、選ぶのに苦労するくらい応募があったのに、ここ数年は応募ゼロが続いている。若手社員と話すと、「このような時代だから海外に行かないといけない」とは解っているようだけれども、尻込みする。それで「そっと背中を押してやらないといけない」といった話しがありましたた。           

 そのような状況ですから、文科省は、グローバル人材育成の施策の一つとして、高校生の留学を促進しようと、来年度は、予算を今年度の1億円から10億円にして、留学支援者を今年の50人から2000人にしようと考えているようです。単純に人口比で考えると、宮崎県は20人が対象ということになります。つまり、皆さんの中から、5,6人が国費留学の対象になっても不思議ではないということです。

 国はそのような課題意識、危機感を持っているということです。しかし、そうは言っても、大方の人は、おいそれと留学ができるものではありませんね。ただ、大宮は幸い、いろいろと外の刺激を受ける環境としては恵まれています。留学など海外経験者が何人か在籍していますし、先日のように外国の高校生に訪問してもらったり、ケルンやチューリッヒなどに居住して世界的に活躍されているヴァイオリニストに3名も一緒に体育館まで来て、ストラリバリウスにも匹敵するような名器を奏でていただいたり、海外で活躍している先輩達の講演会を開いてもらったりして、とても有り難いことです。

 皆さんは、世界的なヴァイオリニストたちの演奏や日頃の生活ぶりなどの話しを聴いて何を感じたでしょうか。また、文情科1年生はインドや台湾の高校生と交流して何を思ったでしょうか。

 私は、インドや台湾、韓国などの教育事情を耳にするたびに、「ああ、日本はこれじゃあ太刀打ちできないなあ」「グローバル化の中で、日本は取り残されるのではないか」と思ってしまいます。目の色が違うし、取り組みが違います。語学一つとっても、台湾や韓国では、英語はできて当然で、第2外国語として日本語やフランス語、ドイツ語、ロシア語などが履修されているようです。一昨年、宮崎に来たソウル市立慶福ビジネス高校では、第3外国語までやっているという話しでした。                   

 日本の若者は、ぼんやりしていたり、うじうじしていたりすると、気づいたら世界の若者たちに大きく水を開けられていた。日本は「ガラパゴス」になっていたということになりかねません。     

 都会の子どもたちの強みは、外からの様々な刺激が多いことです。残念ながら、地方はそれが弱い。しかし本校は、県庁所在地の中心部にあって、県の芸術劇場や美術館、博物館などの文化施設に近く、文化的な刺激や外国の高校生の訪問があったり、海外で活躍される先輩方もたくさんおられるという、折角、恵まれた環境にあるのですから、皆さんの「琴線に触れる」場面が数多くあってほしいと願っています。そうすれば、授業を2,3時間カットしても、それが10時間分にも20時間分にもなって返ってくるはずです。     
  3年生は、目前のセンター試験、国内の競争にしか意識がないと思います。それは仕方ないですが、どうか、1年生も、2年生も、これからはライバルは日本国内だけに止まらないという気構えを持ってください。

  終わりに、皆さんの年末年始の健康管理と3年生のひと踏ん張りを念じて、2学期終業式の挨拶とします。                   
 皆さん佳い新年を迎えてください。


Modified : 2012-04-26

平成23年度 2学期始業式講話                    

 
  皆さん こんにちは
 いよいよ2学期が始まりましたが、今年は、夏季休業期間が少し長かったので、何か少しはやりたいことがやれたでしょうか。
 実質は課外等で何ら変わらず、課外や部活動、弦月祭・体育大会の準備や練習、そして課題に追われて過ぎたという人が多いかもしれませんね。しかし、先ほど表彰伝達をしたように1年生大会等で大変すばらしい成績を収めたりして、それぞれ充実した夏休みであっただろうと思っています。

 さて、2学期の始業式にあたり、2つ話しをします。まず、秋について、秋の細やかさを味わう心を持ってほしいといった話しをします。             

 ずいぶんしのぎやすくなったとはいえ、少し動くと汗びっしょりになり、まだまだ残暑がきびしいですが、目を凝らせば彼岸花が目にとまるし、耳を澄ませば百舌の声が聞こえますので、間違いなく秋がそこまで来ています。                   
  秋は、「スポーツの秋」とか、「食欲の秋」「読書の秋」「芸術の秋」「実りの秋」など、いろいろな言い方がされますね。他の季節では、こうはいきません。「何とかの春」という言い方、何か思いつきますか?ほとんど思いつかないでしょう。夏も冬も似たようなものです。秋が、いろいろ修飾されて言われるのは、それだけ秋という季節が、天候がよく、空気が澄み渡って星がきらめき、いろいろな虫が鳴き、果実も色づいて、いい季節だということでしょう。
 秋は、「白秋」と言いますね。これは、古代中国の五行説のとらえ方です。五行説というのは、万物は、木、火、土、金、水でできているという説で、アリストテレスの四元素説に対応するような自然観なんですが、その五行説では、秋は白なんです。どうして白なんでしょう。春の青は、よく使う「青春」ですが、若葉の緑や瑞々しさにぴったりですね。夏の朱も、灼熱の太陽、暑さに合います。そして、冬は「玄冬」と言うのですが、ゲントウのゲンは、玄関の玄。これに人を付けると玄人です。玄の訓読みは「クロ」なんです。暗く寒いイメージで、合いますね。でも、秋の白は、どうも色感がピンと来ない。皆さんはどうですか? 私は、秋は、豊かで変化に富むから、いろいろな色づけができる「白」なんだろうと勝手に解釈しています。

  話しが逸れましたが、今言いましたように、これから一年中で一番こまやかで味わい深い季節になりますので、夜空を見上げたり、虫の声に耳を傾けたりするような、気持ちの余裕を持ってほしいと思います。どうも我々は、目を引くようにしつらえられたものに目や耳を奪われがちですが、身の回りの天然自然のものにも感嘆させられるものがたくさんありますし、考させられる素材もいろいろあります。いま、品種改良された造花のような花が、どこそこに満ちていますが、通りかかる道ばたや野原には、ヨメナやナデシコ、ハギなど可愛らしい花やきれいな花がたくさんあるでしょう。気にもかけず踏んづけている人もいるでしょうが、君たちには、華やかなものだけに目を奪われるのではなく、足元のあまり目を引かないもの、小さな命の営みにも目を向けるような人であってほしいと願っています。
 3.11で我々に突きつけられたことの本質の一つは、そんなことではないかと思うのです。かつて朝日新聞の「天声人語」を書いていた辰濃和男という人に『風と遊び風に学ぶ』という本があり、水上勉と灰谷健次郎との往復書簡を本にした『いのちの小さな声を聴け』というのがあります。どちらも、今言ったようなことがテーマになっています。ぜひ、一度読んでみて下さい。

  2つ目の話しは、「学び」についてです。
  「またか」と思うでしょうが、1学期の終業日にとった「新たな取り組み」に関するアンケートの結果を見ての感想です。後で、担当の教務部から詳しく話しがあるようですので、私は、かいつまんで話します。                         まず最初の「先生方の授業は変わりつつあると思うか?」という問いに対する答えは、学年によって少し違いがありましたが、全体では4割強の人が、「思う」「どちらかといえば思う」と答えていました。私は、「意外に多いな」と思いました。なぜなら、先生方は、これまで培ってきた自分のスタイルを持っておられて、そのスタイルを変えるのは、そう簡単ではないからです。その他の質問では、課題の量や模試等の回数に関して「多い」「減らすことに賛成」と答えた人、ノーチャイム制に対し「自分で自主的時間管理を心がけている」人、1単位を減じてつくった「大宮学びの時間」を有効に使っていると自己評価した人、「受け身の勉強から脱却しようとしている」と答えた人は、いずれも7割から8割で、高かったです。君たちは利口だから、中には「クレバーハンス」的な票もあるのかもしれませんが、概ね前向きに「新たな取り組み」に向き合ってくれているなあと、大変うれしく思います。
  ただ、宿題の量が減ったり、朝課外がなくなると「不安だ」と4割の人が答え、課題をこなす時間以外の宅習時間をほとんど確保できていない人が多いという実態は、何とかしないといけませんね。本校は、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」を標榜していますが、それが「勉強も、部活も、生徒会も」ということではなく、テレビ番組を「あれもこれも」見たり、遊びも「あれもこれも」したりして時間を失っている人はいないでしょうか。「やっぱり、生徒は怠け者で、宿題をいっぱい出して、尻をひっぱたき、鼻面を掴んで引きずって行かないと駄目だわ」とならないように頑張ってください。
 昨今、新規採用で外国人枠を増やす企業が多くなっています。パナソニックやユニクロの8割とか、日立やソニー、楽天などたくさんありますね。その背景には、グローバル化の中で、外国語ができるとか、当地の事情に詳しいということだけでなく、主体性とか積極性、コミュニケーション力、自分の考えをしっかり持って、それを発言するなど、日本人が弱いといわれている面の問題もあるんじゃないかと思うのです。
 勉強に限らず、何事も自分で主体的に取り組むようになってください。校是の「自主自律」とは、そういうことでしょう。  

 2学期に向けて、2つの話をいたしました。
  長い2学期です。まずは、来週の弦月祭、体育大会に全力投球して、思い出深いすばらしい大会にしてください。そして、終わったら、気持ちをさっと切り替えて、実りの秋に向けて邁進してほしいと思います。皆さん一人一人にとって充実した2学期になるよう願って、始業式の挨拶とします。 

                                                                                                                               平成23年9月1日                           


Modified : 2012-04-26

  平成23年度第1学期終業式挨拶

   皆さん こんにちは 
   あっという間に1年の3分の1が終わって、1学期の終業式を迎えました。 
 ミラクル台風が過ぎて、一気に夏空が広がりそうですし、今年はセミが鳴きださないと心配していましたが、ようやく鳴きだし、いっそう暑苦しさが増しそうです。 

 今日は、終業式にあたり、2つのことを話します。                
 まず、「学び」の質についてです。               

 今年度は「大宮第3の時代」の構築に向けて、校是の「自主自律」にいっそう磨きをかけることを掲げました。そのため、授業時数の1時間削減とかノーチャイム制の導入、テストの精選、校務分掌に研修部を創設など、いくつかハード面の改革を行い、皆さんにもいろいろと投げかけて来ました。今朝の読書講話もその一環です。
 先日は、先生方が半日かけて、「学習指導の『量』から『質』への転換」について、教育委員会からも来ていただいて研修会を持ちましたし、先日の生徒総会も、テーマは宿題の量などに対する意見集約だったと聞いています。                       

  そこで、学びの「質」について、具体的な話をします。「学び」ですから、皆さんが主体の話です。

 「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」という芭蕉の句がありますね。この句は、多分、中学校でもやったし、高1の2学期後半にも出て来ます。
 自分の高校時代を思い出すと、「おくの細道」の冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に …… 」を諳んじたり、何か文法的なことをやったりしましたが、この句は、立石寺で読まれた句で、他に夏の句には、「夏草や兵どもが夢のあと」とか、「五月雨をあつめて早し最上川」とかがあって…、なんて憶えたりしましたね。でも今思えば、高校の時、例えば「しずかさや」の漢字は、どうして静寂の「静」ではなく、閑散の「閑」の字を当てるのだろうと、なぜ疑問に思わなかったのかと思います。皆さんはどうですか。そう思いませんか。                   

 また、「岩」は、どんな岩石なんだろうとか、そもそも、このセミは、何ゼミだったのだろうかとか、次から次に疑問が湧くでしょう。どうですか。     
  大理石みたいな変成岩なら少し硬い感じだから、「しみ入る」じゃなくて「しみ付く」くらいにしただろうし、今日校庭で、「ワシ、ワシ、ワシ…」と鳴きだしたクマゼミは力強いけどうるさいし、ヒグラシの「カナカナ、カナカナ…」という声では、静かさにはぴったりだけど、「しみ入る」力はないなあなど、いろいろ考えるでしょう。
 芭蕉も、ずいぶん推敲に推敲を重ねて、結局、この「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」に落ち着いたようですが、それにはそれなりの理由があるはずですね。
 今なら、インターネットなどで立石寺近辺の岩石は何岩か、旧暦の5月末頃、山形あたりで鳴くセミは何ゼミか。いくらでも調べられます。そうすると、岩石は、凝灰岩で、宮崎あたりでよく塀や敷石に使われている清武石のような石で、火山灰が固まった岩石だからあまり硬そうじゃないなあということが判るし、セミについても、クマゼミは関東以南が生息地だからクマゼミではないだろうとか。二人の文人、山形出身の斎藤茂吉と漱石の弟子の小宮豊隆との間で大論争があって、現地調査までして、結局、アブラゼミではなくニイニイゼミだろうということで小宮に軍配が上がったとか、そんなことが分かる。もちろん、昨年このあたりを飛び回ったキオビエダシャクは、元々は沖縄あたりの南西諸島に棲んでいる蛾で、少しずつ北上してきて、昨年の大発生ですから、生き物の世界は、昔は今と違うところがあるかも知れませんけどもね…。
 まあ、興味がある人は調べてみてください。

 このように少し違った視点を入れて考えると、鑑賞も深まるし、トータルな力になるでしょう。小説なら、社会的背景の視点を入れるとか、数学なら、授業でやった標準的な解答だけでなく常に別解を考えるとか、物理だと、闇雲に公式を、例えば、「d」は極板間の間隔で「S」は極板の面積で、と丸暗記するのではなく、「d」はdistanceの「d」で、「S」はsurfaceの「s」なんだ、といった感じで公式を捉えれば、広がりも出てくるでしょう。一つの例ですが、これが「学び」の質の高まりではないかと思います。

 「憶える」だけではなくて「考える」。「守り」ではなく「攻める」勉強を。問いに「どう」答えるかではなくて「なぜ」という問いを発する。
 これが、学びの「量」から「質」への転換の鍵です。

  次に、「言霊」と「念ずる」についてです。
  一昨日の、ワールドカップの決勝戦、観ましたか? 私は、3時半頃起き出して、ライブで応援しましたが、日本代表の逞しさ、ねばり強さに本当に感動しましたね。    

 ところで、野球の宮崎大会の開会式で、河野知事から次のような激励がありました。 
 「『言霊』という言葉があります。知事選の時のマニフェストに、高校野球の甲子園優勝を掲げました。九州で全国優勝をしていないのは宮崎だけになって、県民の大きな悲願です。ぜひ、言霊の力を信じて、突き進んでほしい」というような内容でした。    「言霊」とは、口に出した言葉には言葉どおりの結果に導く力があるということです。

 その話しを聞きながら、弦月講演会で谷 広海さんが口にされた「念ずれば 花ひらく」という言葉を思いました。                            

 「念ずれば 花ひらく」。熊本出身の坂村真民の詩で知られる言葉です。こんな詩です。

   念ずれば
   花ひらく

  苦しいとき 
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのころからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった

  この詩は、真民が8歳の時、父親が急逝して、自分と弟、妹の5人の幼い子どもを苦労して育て上げた母親のことを思って作った詩です。

   念ずれば
   花ひらく

  苦しいとき 
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのころからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった

 「念じるだけで、花がひらくものか」と思う人がいるかも知れませんが、「念ずれば 花ひらく」とは、何ごとも、成就できることを信じて、念ずるように一心に努力すれば、自ずと道は開けるということです。なでしこジャパンの澤キャプテンが「神様はいた」と言いましたが、やればできると信じて苦しい練習にも耐えたから、勝利の女神がなでしこに花を咲かせたのです。
 神様は外にいるのではなくて、自分の中にいるんじゃないかと思います。

 先日、保健室の前や廊下に立ててある七夕かざりの短冊にいろいろな願いごとが書いてあるのを目にしましたが、まず、願いごとを言葉にすること。そして、念じるようにその実現に向けて一途に取り組むこと。でないと、願いごとは成就できません。      

 これからいっそう厳しい暑さが続きますが、それぞれ、この夏に何をやり遂げるのか、具体的目標を言葉にして、一心にその目標達成に向けて取り組んでください。     

 これで、1学期終業式の挨拶といたします。                   
                                                            平成23年7月20日


Modified : 2012-04-26

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