平成23年度 3学期始業式 副校長講話 新年 あけましておめでとうございます。 皆さん、平成24年の輝かしい新春を、健やかに迎えたことではないかと思います。皆さん、元気そうですね。お陰様で、年末からの休業中に大きな事故等もなく、ここにこうして3学期の始業式を迎えられたことを本当に嬉しく思います。 今日の始業式、何か違いますね。本来なら全学年が揃ってこの体育館に集合するはずですが、2年生がいませんね。2年生は、国外組が4日からカナダの方へ、国内組は昨日(9日)奥日光の方へ修学旅行として元気よく出発しました。校長先生も修学旅行中ですので、本日は副校長から皆さんにお話しします。 昨年は、大変な年でしたね。宮崎においては、鳥インフルエンザ、口蹄疫、新燃岳の噴火、そして、日本においては、3月11日の東北大震災、大津波、福島原発の爆発がありました。また、一年を表す漢字として「絆」の文字もありましたね。東北においては、一刻も早く再生・復興が出来ることを願うばかりです。いろんな意味で考えさせられる一年でした。 年が明けて平成24年、皆さん初詣にいきましたか。今年は昨年よりも参拝者が多かったようですね。昨年が大変でしたから、今年は、家内安全や安心を願う気持ちが強まったからでしょうか。今年、一年本校にとっても、皆さんにとっても幸福な一年であるよう願っています。 さて、今日は年の初めにあたり皆さんに3つの事をお話ししたいと思います。 まず、一番目に、「一隅を照らす」ということです。 この言葉は、平安時代に比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄の「山家学生式(さんげがくしょうしき)」にある言葉です。『山家』の漢字は山・家と書き、『学生』は、学び・生きる、『式』は式典の式と書きます。「山家学生式」の正式な名称は、《天台法華宗年分学生式》というものです。伝教大師・最澄は、天台宗を開くにあたり、熱意を込めてこの「山家学生式」を著しました。それは、人々を幸せに導くために「一隅を照らす国宝的人材」を育成したいとの願いで書かれたとのことです。 最澄は、人間はそれぞれ「一隅を照らす」存在だと言っています。「一隅」とは、いまあなたのいるところのことを意味しています。いま存在している「自分の立場」、家庭や社会の環境の中で「自分自身が置かれた場所・立場」のことを言うのですね。 いま、皆さんは「学生・生徒」という立場ですね。「照らす」とは、当然、「光で明るくする」ことですよね。 ですから、「一隅を照らす」とは、その人その人が、家庭や社会の中で、自分自身の置かれた立場で、精一杯努力し、明るく光り輝く人になることを言っているのです。その立場立場に於いてなくてはならぬ人になることなのです。 人は、かけがえのない命を授かっています。また、誰もが何らかの使命を果たすために、この世の中に生まれてきたともいいます。皆さん、ひとりひとりは、それぞれに、この人類にとって、かけがえのない大切な役割を持っているのだということなのです。 いま、皆さんは学生という立場ですから、その立場で、一生懸命勉学に励んでもらいたいと思います。人をうらやんだり、自分を卑下することなく、自分を信じて自分の場所、自分の立場でベストを尽くして生きることが、あなた自身を光り輝かせることになるのです。 あなたが光り輝くことで、隣の人も輝き、学校も光ってきます。やがて、町や社会、そして日本、世界が光り、この地球を人類を照らすことになるでしょう。 ところで、3年生は、センター試験を間近に控えて、今、ラストスパートで頑張っていますが、これまでに、推薦で受験する生徒の面接指導をする機会がありました。また、3年生の諸君に、折に触れては、将来何になりたいのか、どんな大学を目指しているのか尋ねていました。 ほとんどの生徒が、将来自分が就きたい仕事のことや、そこでの目標などを話してくれましたが、ある生徒は、しっかりと自分の将来を見据えて、使命感をもって堂々と語ってくれました。しかも、それは自分のためではなく、地域社会や人の幸せ、ひいては人類の幸せに結びつくものでした。私は、高校3年生で、ここまでしっかりしているのかと感心するとともに、大宮高校にこのような「一隅を照らす」人物がいることに大変誇りを持ちました。どうか、皆さんも「一隅を照らす」存在として努力して欲しいと思います。 次に、「あいさつ」のことについて、私の考えていることを話したいと思います。2学期の終業式の時、生徒指導部から「あいさつ」について、大変すばらしく、為になるお話をしてもらいましたが、皆さん、その後「あいさつ」の実践は心掛けていますか。 「あいさつ」を辞書で調べると、「人と会った時や別れる時にやりとるする社交的な言葉や動作」となっていますが、これからは私の経験からの話をしたいと思います。 私は7才で父を亡くしましたが、父の最後の言葉が、「人にはあいさつをしなさい」でした。私は、「あいさつ」を父の遺言と思って、これまで「あいさつ」をしているのですが、私の場合「あいさつ」の対象は、人だけではありません。動物、植物など命あるものだけでなく、命のない物まで、全てが対象になります。 本校には、玄関や廊下などに、環境整備部のお陰で、美しい花があふれています。副校長室にも美しい花があります。 毎朝、ドアを開けて部屋に入ると、シクラメンの花や壁に掛かった2枚の絵などが私を迎えてくれます。毎日、「おはよう」と声をかけます。 シクラメンには、「今日も美しく咲いて私を迎えてくれて有難う」と挨拶をするのです。すると、シクラメンの花は、更に美しく私にほほえみかけて「今日も良い日でありますように」と語りかけてくるように思えるのです。 2枚の絵も同じです。本校の3年生の作品で、バイオリンの描かれている静物画、油絵からは、挨拶をすると、美しい旋律が流れてきますし、本校の大先輩で有名な画家の描いた双石山や鰐塚山の水彩画からは、「癒しと勇気」のメッセージが送られてくるのです。 また、私は、車に乗る時には、必ず車にも挨拶するんです。「今日も交通安全でよろしく」と。それから、私は通勤経路として火葬場の道路を通ります。そのため、よく霊柩車と出会うことがあるのですが、その時は、必ず心の中で亡くなった人へ「哀悼」の挨拶をしています。 さて、みなさんはディズニーランドを知っていますよね。2年生は、いま修学旅行でディズニーランドに行ってる頃だと思いますが、皆さんの中にも、行ったことがある人がいると思います。 そこのトイレ清掃担当者の話です。ディズニーでは、閉館した後、夜遅くまで清掃をするのですが、その担当者は、とても怖くて寂しいし仕事が辛いので辞めようかと思っていたそうです。その頃、ディズニーでは、研修があって、その人は、本拠地アメリカのデイズニーランドに行って同じトイレ清掃の担当者と話すことが出来たそうです。そこで相談したところ、アメリカの担当者は、「僕は清掃がとても楽しいよ。便器に挨拶をするんだ。便器にはみんな名前があって会話をするんだよ。トム、ジェリー、ミッキーとかいるんだ。汚れている便器を見ると、トム、今日はとても頑張ったね。きれいにしてあげるよ・・・」などと、楽しそうに答えてくれたそうです。 その後、日本の担当者も便器に名前をつけて、挨拶を行ってやったところ、仕事が楽しくなって、結局は辞めなかったということです。 ところで、皆さん「あいさつ」を自分からしたのに、相手から「あいさつ」が返ってこないことがありますよね。その時、皆さんはどのように思いますか、また、どのような態度をとりますか。 例えば、先生に挨拶したとしましょう。そこで、 ①折角、こちらから挨拶したのに、あの先生は挨拶を返してくれない。もう、あの先生には挨拶はしないようにしよう。 と思う人。 ②その時は何かあって挨拶が返らなかったんだ。2、3回、挨拶してみよう。そこでも挨拶が返ってこなかったら、挨拶はしないようにしよう。 という人。 ③挨拶が返ってこなくても良い。いつでも気持ちよく挨拶していこう。 という人。 さて、皆さんは、①②③のどの立場をとりますか。時と場所、また相手にもよるかもしれませんが、今まで私が赴任した高校での経験からすると、①が少数、②の人がほとんどで、③も少数の生徒でした。大宮高校ではどうでしょうか。 皆さん、挙手してください。 ★挙手 ①の人 ②の人 ③の人 はい、ありがとう。 私のことで恐縮ですが、私は③の立場で行動してきました。といっても、中学校時代は②の立場だったのですが、父の遺言を思い起こして、③の素晴らしさに気づいたのです。 ①も②も、自分から挨拶をしていいことをしているのに、なぜ自分から、いいことを辞めてしまうようにするのでしょうか。確かに気持ちは解ります。 何故でしょうか。それは、相手からの挨拶を期待しているからなのです。「見返りを望む愛」「期待する挨拶」だから、自分で独り相撲を行い、自分を良くない方向へとしているのですね。「あいさつ」を自分からしないことは、自分自身の徳を失うことと同じだとと気づいたのです。 このことは、相手が自分にとって大切な人ほど、高まってきます。ですから、「可愛さ余って憎さ百倍」や「嫉妬の感情」などが起こるんですね。 では、③は、どういうものでしょうか。挨拶が返らなくても挨拶していく立場ですから「無償の愛」なのですね。この「無償の愛」は「母性愛」にもつながる素晴らしい行動なのですね。ですから、私は、この「あいさつ」が、「自分を高める修業になる」と、高校時代に思ったことでした。 実際、私は何度も経験しましたが、不思議なもので、③の立場で「あいさつ」をしていると、普段「あいさつ」が返ってこない人からも、いつかは必ず「あいさつ」が返ってくるようになりますね。私の経験からすると、最高が約半年でした。 どうですか。どうぞ、皆さんも、「無償の愛」で自ら「あいさつ」のできる人になって自分の心を磨き、高めて欲しいと思います。 さて、三番目の話は、「あおいくま」=ブルーベアー についてです。 これを見てください。 ★模造紙を提示 空白の部分には、どんな文字が入ると思いますか。考えてみてください。 はい、そうです。 ①は「あせるな」、②は「おこるな」、③「いばるな」、④「くさるな」、⑤は「まけるな」です。この頭文字が、つまり「あおいくま(青い熊・ブルーベアー)」なんですね。 皆さんの人生で、この「あおいくま」を実践してみてください。きっと、いろんな事で豊かな成功体験をすることになると思います。 一つ一つの詳しい説明は省きますが、ポイントだけ皆さんに伝えておきたいと思います。 ①の「あせるな(焦るな)」ですが、 「焦る」と「急ぐ」は違いますね。「焦る」は心のゆとりがないことです。「焦る」行動は、時として心を失います。「焦って」もすぐには解決しません。「焦り」をなくするには、しっかりした計画性や下準備が必要です。また、全体と部分、囲碁の言葉で「着眼大局、着手小局」の実践も大切ですね。常に、沈着冷静でありたいものです。 次に、②は「おこるな(怒るな)」です。 感情的な自分の気持ちを発散するのが「怒る」という行為です。これが行き過ぎると暴力的になる恐れがあります。注意したいですね。「怒る」を「叱る」と同じと考えないでください。まったく違います。「叱る」は「叱咤激励」の言葉があるように相手の成長のためにとる行動なのです。自分の感情を発散する「怒る」行為は、健康にも悪いですね。特に高血圧の人、実は私もそうなのですが、高血圧の人が怒ると、感情の爆発だけでなく、血管も爆発して命取りになることもありますから、本当に注意したいですね。 しかし、人間「怒る」感情が出ることはありますよね。そのときには、それを発散するものを用意しておくといいですね。普段から平常心を保つこと、また、不快なことがあっても、それをプラスに考えて行動するよう心掛けることがいいと思います。 続いて、③の「いばるな(威張るな)」です。 「威張る」とは、必要以上に、偉そうな、あるいは強そうな様子をしてみせる事です。威張っている人を皆さんどう思いますか。そういう人がいると嫌ですよね。何故かというと、威張る人は、時に相手を軽蔑するようなことがあるからだと思います。自分に「自信」を持つことはいいことですが、自信過剰になって自分を過信していくと、この「威張る」ことになることがあるようです。ですから、分相応に行動していくことが大切だと思います。 ④は「くさるな(腐るな)」ですね。 食べ物で「腐った」ものは、食べられませんよね。新鮮なのがいいですよね。「ふて腐れる」という行為には、反抗的な行動も見られますが、どうも近寄りがたいですね。「腐らない」ように常に新鮮で、生き生きとした行動が大切ですね。 そして、⑤の「負けるな」です。 これは、「勝て」という意味ではありません。「勝て」となると、相手の存在を無視したり、手段を選ばずあの手この手で「勝とう」ということになることがあるのです。相手を蹴落としてでも勝とうとする行為は卑劣きわまりないですよね。この「負けるな」は、相手を尊重しつつ「負けまい」とする行為で、切磋琢磨の意味を持っています。また、対象が人だけでなく自分自身の煩悩や悪い欲望といった邪悪な心にも「負けないように」という意味なのです。私自信、個人的には、この「ま」の「負けるな」が最後にあるのは、この言葉が人間を成長させる原動力となる重要なことだからではないかと思っています。 どうですか、皆さん、「あおいくま(ブルーベアー)」のこと理解できたでしょうか。 実は、現在活躍しているある有名タレントが、この「あおいくま」のことを、「お父さんからもらった言葉だ」といって、日々実践しているとのことを、テレビで見たことがあります。また、ちなみに我が家では、この「あおいくま」の言葉は、30年前からトイレに掲げてあり、家族中で「あおいくま」を知っています。 実は、この「あおいくま」のことを、江戸時代には、「おい、あくま(オイ、悪魔)」と、言っていたそうです。もし、怒りっぽい人は、「おい、あくま」として、「怒るな」を最初に意識するといいかもしれませんね。 以上、今日は、皆さんに「一隅を照らす」人材になって欲しいこと、「あいさつ」をしっかりと実践して欲しいこと、「あおいくま」で人生を切り開いて欲しいことをお話ししました。 最後に、締めの学期となるこの3学期、及び、平成24年という新しい年が、大宮高校にとっても皆さんにとっても、幸運な飛躍の年となるよう祈って、始業式の講話を終わります。
Modified : 2012-01-19
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