宮崎大宮高等学校
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リベラルな校風と自主自律

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A liberal school environment encouraging independent learning and responsibility




宮崎大宮高等学校のホームページへようこそ!

 本校は、明治21年に設置された宮崎県尋常中学校に源を発する、123年の歴史と伝統をもつ高校です。この間、約4万7千名の方々が、この学舎を卒業され、県内はもとより国内外の各界、各方面で活躍されています。            

 学校は、近くに宮崎神宮や県総合博物館、美術館、図書館、芸術劇場等の文化施設があり、学習環境に大変恵まれた所にあります。

 現在、各学年、普通科8学級(第2学年は9学級)と文科情報科2学級が設置され、全校31学級、1258の生徒諸君が、「自主自律」「質実剛健」のモットーのもと、「高き夢」実現に向け、学業に日々勤しんでいます。一方、部活動や生徒会活動なども大変盛んで、部活動・同好会への加入率は、各学年とも80%を超え、県内外の各種大会で多数入賞するなど、すばらしい成果を収めています。             

 校歌に謳われる「真理を探り、美にあこがれ、体を鍛え、善を行う」活動を通して、自分に自信と誇りをもち、ふるさとを愛するとともに、柔軟な国際感覚と国家及び社会に貢献する気概と力を備えた、知・徳・体の調和のとれたたくましい人材を育成することを教育方針に、今年度の重点目標として、

  1.「学び」の質の向上                            

 2.諸活動を通した大宮精神の具現化                      

 3.開かれた学校づくり                     

 4.教師力・学校力の向上                              

を掲げ、職員95名がこころを一つにして、生徒が満足し、保護者や県民に信頼される学校づくりに邁進しています。

  中学生の皆さん、皆さんも宮崎大宮高等学校で、勉学に部活動に若きエネルギーをそそぎ、はつらつとした高校生活を送りませんか。

 同窓生の方々や地域、県民の皆様、機会がございましたら、ぜひ宮崎大宮高校にお立ち寄りいただき、生徒達の生き生きとした諸活動のようすをご覧下さい。

  平成23年4月1日  


Modified : 2012-01-19

平成23年度 3学期始業式 副校長講話

  新年 あけましておめでとうございます。

 皆さん、平成24年の輝かしい新春を、健やかに迎えたことではないかと思います。皆さん、元気そうですね。お陰様で、年末からの休業中に大きな事故等もなく、ここにこうして3学期の始業式を迎えられたことを本当に嬉しく思います。
 今日の始業式、何か違いますね。本来なら全学年が揃ってこの体育館に集合するはずですが、2年生がいませんね。2年生は、国外組が4日からカナダの方へ、国内組は昨日(9日)奥日光の方へ修学旅行として元気よく出発しました。校長先生も修学旅行中ですので、本日は副校長から皆さんにお話しします。

 昨年は、大変な年でしたね。宮崎においては、鳥インフルエンザ、口蹄疫、新燃岳の噴火、そして、日本においては、3月11日の東北大震災、大津波、福島原発の爆発がありました。また、一年を表す漢字として「絆」の文字もありましたね。東北においては、一刻も早く再生・復興が出来ることを願うばかりです。いろんな意味で考えさせられる一年でした。
 年が明けて平成24年、皆さん初詣にいきましたか。今年は昨年よりも参拝者が多かったようですね。昨年が大変でしたから、今年は、家内安全や安心を願う気持ちが強まったからでしょうか。今年、一年本校にとっても、皆さんにとっても幸福な一年であるよう願っています。

  さて、今日は年の初めにあたり皆さんに3つの事をお話ししたいと思います。

 まず、一番目に、「一隅を照らす」ということです。
この言葉は、平安時代に比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄の「山家学生式(さんげがくしょうしき)」にある言葉です。『山家』の漢字は山・家と書き、『学生』は、学び・生きる、『式』は式典の式と書きます。「山家学生式」の正式な名称は、《天台法華宗年分学生式》というものです。伝教大師・最澄は、天台宗を開くにあたり、熱意を込めてこの「山家学生式」を著しました。それは、人々を幸せに導くために「一隅を照らす国宝的人材」を育成したいとの願いで書かれたとのことです。
 最澄は、人間はそれぞれ「一隅を照らす」存在だと言っています。「一隅」とは、いまあなたのいるところのことを意味しています。いま存在している「自分の立場」、家庭や社会の環境の中で「自分自身が置かれた場所・立場」のことを言うのですね。
 
 いま、皆さんは「学生・生徒」という立場ですね。「照らす」とは、当然、「光で明るくする」ことですよね。
 ですから、「一隅を照らす」とは、その人その人が、家庭や社会の中で、自分自身の置かれた立場で、精一杯努力し、明るく光り輝く人になることを言っているのです。その立場立場に於いてなくてはならぬ人になることなのです。
 
 人は、かけがえのない命を授かっています。また、誰もが何らかの使命を果たすために、この世の中に生まれてきたともいいます。皆さん、ひとりひとりは、それぞれに、この人類にとって、かけがえのない大切な役割を持っているのだということなのです。
 いま、皆さんは学生という立場ですから、その立場で、一生懸命勉学に励んでもらいたいと思います。人をうらやんだり、自分を卑下することなく、自分を信じて自分の場所、自分の立場でベストを尽くして生きることが、あなた自身を光り輝かせることになるのです。 あなたが光り輝くことで、隣の人も輝き、学校も光ってきます。やがて、町や社会、そして日本、世界が光り、この地球を人類を照らすことになるでしょう。 
 
 ところで、3年生は、センター試験を間近に控えて、今、ラストスパートで頑張っていますが、これまでに、推薦で受験する生徒の面接指導をする機会がありました。また、3年生の諸君に、折に触れては、将来何になりたいのか、どんな大学を目指しているのか尋ねていました。
 ほとんどの生徒が、将来自分が就きたい仕事のことや、そこでの目標などを話してくれましたが、ある生徒は、しっかりと自分の将来を見据えて、使命感をもって堂々と語ってくれました。しかも、それは自分のためではなく、地域社会や人の幸せ、ひいては人類の幸せに結びつくものでした。私は、高校3年生で、ここまでしっかりしているのかと感心するとともに、大宮高校にこのような「一隅を照らす」人物がいることに大変誇りを持ちました。どうか、皆さんも「一隅を照らす」存在として努力して欲しいと思います。

 次に、「あいさつ」のことについて、私の考えていることを話したいと思います。2学期の終業式の時、生徒指導部から「あいさつ」について、大変すばらしく、為になるお話をしてもらいましたが、皆さん、その後「あいさつ」の実践は心掛けていますか。

 「あいさつ」を辞書で調べると、「人と会った時や別れる時にやりとるする社交的な言葉や動作」となっていますが、これからは私の経験からの話をしたいと思います。
 私は7才で父を亡くしましたが、父の最後の言葉が、「人にはあいさつをしなさい」でした。私は、「あいさつ」を父の遺言と思って、これまで「あいさつ」をしているのですが、私の場合「あいさつ」の対象は、人だけではありません。動物、植物など命あるものだけでなく、命のない物まで、全てが対象になります。

 本校には、玄関や廊下などに、環境整備部のお陰で、美しい花があふれています。副校長室にも美しい花があります。
 毎朝、ドアを開けて部屋に入ると、シクラメンの花や壁に掛かった2枚の絵などが私を迎えてくれます。毎日、「おはよう」と声をかけます。
 シクラメンには、「今日も美しく咲いて私を迎えてくれて有難う」と挨拶をするのです。すると、シクラメンの花は、更に美しく私にほほえみかけて「今日も良い日でありますように」と語りかけてくるように思えるのです。
 2枚の絵も同じです。本校の3年生の作品で、バイオリンの描かれている静物画、油絵からは、挨拶をすると、美しい旋律が流れてきますし、本校の大先輩で有名な画家の描いた双石山や鰐塚山の水彩画からは、「癒しと勇気」のメッセージが送られてくるのです。
 
 また、私は、車に乗る時には、必ず車にも挨拶するんです。「今日も交通安全でよろしく」と。それから、私は通勤経路として火葬場の道路を通ります。そのため、よく霊柩車と出会うことがあるのですが、その時は、必ず心の中で亡くなった人へ「哀悼」の挨拶をしています。
 
 さて、みなさんはディズニーランドを知っていますよね。2年生は、いま修学旅行でディズニーランドに行ってる頃だと思いますが、皆さんの中にも、行ったことがある人がいると思います。
 そこのトイレ清掃担当者の話です。ディズニーでは、閉館した後、夜遅くまで清掃をするのですが、その担当者は、とても怖くて寂しいし仕事が辛いので辞めようかと思っていたそうです。その頃、ディズニーでは、研修があって、その人は、本拠地アメリカのデイズニーランドに行って同じトイレ清掃の担当者と話すことが出来たそうです。そこで相談したところ、アメリカの担当者は、「僕は清掃がとても楽しいよ。便器に挨拶をするんだ。便器にはみんな名前があって会話をするんだよ。トム、ジェリー、ミッキーとかいるんだ。汚れている便器を見ると、トム、今日はとても頑張ったね。きれいにしてあげるよ・・・」などと、楽しそうに答えてくれたそうです。
 その後、日本の担当者も便器に名前をつけて、挨拶を行ってやったところ、仕事が楽しくなって、結局は辞めなかったということです。
 
 ところで、皆さん「あいさつ」を自分からしたのに、相手から「あいさつ」が返ってこないことがありますよね。その時、皆さんはどのように思いますか、また、どのような態度をとりますか。
 例えば、先生に挨拶したとしましょう。そこで、
 ①折角、こちらから挨拶したのに、あの先生は挨拶を返してくれない。もう、あの先生には挨拶はしないようにしよう。 と思う人。
  ②その時は何かあって挨拶が返らなかったんだ。2、3回、挨拶してみよう。そこでも挨拶が返ってこなかったら、挨拶はしないようにしよう。 という人。
  ③挨拶が返ってこなくても良い。いつでも気持ちよく挨拶していこう。 という人。 

 さて、皆さんは、①②③のどの立場をとりますか。時と場所、また相手にもよるかもしれませんが、今まで私が赴任した高校での経験からすると、①が少数、②の人がほとんどで、③も少数の生徒でした。大宮高校ではどうでしょうか。
  皆さん、挙手してください。
  ★挙手 ①の人  ②の人  ③の人  はい、ありがとう。

 私のことで恐縮ですが、私は③の立場で行動してきました。といっても、中学校時代は②の立場だったのですが、父の遺言を思い起こして、③の素晴らしさに気づいたのです。
 ①も②も、自分から挨拶をしていいことをしているのに、なぜ自分から、いいことを辞めてしまうようにするのでしょうか。確かに気持ちは解ります。
 何故でしょうか。それは、相手からの挨拶を期待しているからなのです。「見返りを望む愛」「期待する挨拶」だから、自分で独り相撲を行い、自分を良くない方向へとしているのですね。「あいさつ」を自分からしないことは、自分自身の徳を失うことと同じだとと気づいたのです。
 このことは、相手が自分にとって大切な人ほど、高まってきます。ですから、「可愛さ余って憎さ百倍」や「嫉妬の感情」などが起こるんですね。
  では、③は、どういうものでしょうか。挨拶が返らなくても挨拶していく立場ですから「無償の愛」なのですね。この「無償の愛」は「母性愛」にもつながる素晴らしい行動なのですね。ですから、私は、この「あいさつ」が、「自分を高める修業になる」と、高校時代に思ったことでした。
 実際、私は何度も経験しましたが、不思議なもので、③の立場で「あいさつ」をしていると、普段「あいさつ」が返ってこない人からも、いつかは必ず「あいさつ」が返ってくるようになりますね。私の経験からすると、最高が約半年でした。
 どうですか。どうぞ、皆さんも、「無償の愛」で自ら「あいさつ」のできる人になって自分の心を磨き、高めて欲しいと思います。

 さて、三番目の話は、「あおいくま」=ブルーベアー   についてです。
これを見てください。       ★模造紙を提示  
  空白の部分には、どんな文字が入ると思いますか。考えてみてください。

 はい、そうです。
①は「あせるな」、②は「おこるな」、③「いばるな」、④「くさるな」、⑤は「まけるな」です。この頭文字が、つまり「あおいくま(青い熊・ブルーベアー)」なんですね。
 皆さんの人生で、この「あおいくま」を実践してみてください。きっと、いろんな事で豊かな成功体験をすることになると思います。
 一つ一つの詳しい説明は省きますが、ポイントだけ皆さんに伝えておきたいと思います。

 ①の「あせるな(焦るな)」ですが、
 「焦る」と「急ぐ」は違いますね。「焦る」は心のゆとりがないことです。「焦る」行動は、時として心を失います。「焦って」もすぐには解決しません。「焦り」をなくするには、しっかりした計画性や下準備が必要です。また、全体と部分、囲碁の言葉で「着眼大局、着手小局」の実践も大切ですね。常に、沈着冷静でありたいものです。         

  次に、②は「おこるな(怒るな)」です。
  感情的な自分の気持ちを発散するのが「怒る」という行為です。これが行き過ぎると暴力的になる恐れがあります。注意したいですね。「怒る」を「叱る」と同じと考えないでください。まったく違います。「叱る」は「叱咤激励」の言葉があるように相手の成長のためにとる行動なのです。自分の感情を発散する「怒る」行為は、健康にも悪いですね。特に高血圧の人、実は私もそうなのですが、高血圧の人が怒ると、感情の爆発だけでなく、血管も爆発して命取りになることもありますから、本当に注意したいですね。
 しかし、人間「怒る」感情が出ることはありますよね。そのときには、それを発散するものを用意しておくといいですね。普段から平常心を保つこと、また、不快なことがあっても、それをプラスに考えて行動するよう心掛けることがいいと思います。
  
 続いて、③の「いばるな(威張るな)」です。
 「威張る」とは、必要以上に、偉そうな、あるいは強そうな様子をしてみせる事です。威張っている人を皆さんどう思いますか。そういう人がいると嫌ですよね。何故かというと、威張る人は、時に相手を軽蔑するようなことがあるからだと思います。自分に「自信」を持つことはいいことですが、自信過剰になって自分を過信していくと、この「威張る」ことになることがあるようです。ですから、分相応に行動していくことが大切だと思います。

  ④は「くさるな(腐るな)」ですね。
 食べ物で「腐った」ものは、食べられませんよね。新鮮なのがいいですよね。「ふて腐れる」という行為には、反抗的な行動も見られますが、どうも近寄りがたいですね。「腐らない」ように常に新鮮で、生き生きとした行動が大切ですね。

  そして、⑤の「負けるな」です。
  これは、「勝て」という意味ではありません。「勝て」となると、相手の存在を無視したり、手段を選ばずあの手この手で「勝とう」ということになることがあるのです。相手を蹴落としてでも勝とうとする行為は卑劣きわまりないですよね。この「負けるな」は、相手を尊重しつつ「負けまい」とする行為で、切磋琢磨の意味を持っています。また、対象が人だけでなく自分自身の煩悩や悪い欲望といった邪悪な心にも「負けないように」という意味なのです。私自信、個人的には、この「ま」の「負けるな」が最後にあるのは、この言葉が人間を成長させる原動力となる重要なことだからではないかと思っています。

 どうですか、皆さん、「あおいくま(ブルーベアー)」のこと理解できたでしょうか。
実は、現在活躍しているある有名タレントが、この「あおいくま」のことを、「お父さんからもらった言葉だ」といって、日々実践しているとのことを、テレビで見たことがあります。また、ちなみに我が家では、この「あおいくま」の言葉は、30年前からトイレに掲げてあり、家族中で「あおいくま」を知っています。
 
 実は、この「あおいくま」のことを、江戸時代には、「おい、あくま(オイ、悪魔)」と、言っていたそうです。もし、怒りっぽい人は、「おい、あくま」として、「怒るな」を最初に意識するといいかもしれませんね。

  以上、今日は、皆さんに「一隅を照らす」人材になって欲しいこと、「あいさつ」をしっかりと実践して欲しいこと、「あおいくま」で人生を切り開いて欲しいことをお話ししました。

  最後に、締めの学期となるこの3学期、及び、平成24年という新しい年が、大宮高校にとっても皆さんにとっても、幸運な飛躍の年となるよう祈って、始業式の講話を終わります。


Modified : 2012-01-19

平成23年度 2学期終業式校長講話 

 皆さん こんにちは
 ようやく冬らしくなって、2学期の終業日を迎えることになりました。
 平成23年も、余すところ9日です。

 今年は、東日本大震災が起こり、福島原発事故が誘発されて、被災地だけでなく日本中が大変な事態となりました。そして、これまでの生活の有り様を問い直すことを迫られたり、「絆」という言葉が盛んに叫ばれたりして、当たり前であることの有り難さや人のつながりの大切さを改めて実感した一年でした。今年は、と言うより[3.11]は、と言った方がいいかもしれませんが、後々、歴史の大きなターニングポイントだったと位置づけられるのではないかと思いますが、皆さんにとってはどんな一年だったでしょうか。   

 2学期を振り返れば、弦月祭・体育大会に始まって、高文祭、新人戦、芸術鑑賞教室など、挙げていくと切りない程たくさんの行事もありました。これらの行事を通して、日頃の授業や部活動等とは違う収穫があったものと思います。 

 さて今日は、グローバル化ということにしぼって話しをします。       
 グローバル化の中で、パナソニックや日立、ソニーなど、新規採用で外国人枠を拡大している企業がどんどん増えているという話しを始業式でしました。         

 いま、国では、グローバル人材の育成が大きな課題になっています。まだ概算要求の段階の話ですが、文科省では、厳しい財政事情の中で、今年より約500億円くらい増額して、約1,400億円の予算を計上して、来年度、いろいろな施策を打とうとしています。

 グローバル化が叫ばれているのに、「閉じこもる日本人」と揶揄する言葉があるように日本の若者はなかなか海外に出ようとしない。留学者が少ない。といったことが問題になっています。先日、旭化成延岡支社の前支社長の水永 正憲さん、現在、本社で取締役常務執行役員をなさってますが、この方の『大学生就活最前線から見えてくるもの』と題した講演会がありました。その中で、今の若手社員は、「誰か海外に行かないか」と募集をかけてもなかなか希望者が出て来ない。以前は、選ぶのに苦労するくらい応募があったのに、ここ数年は応募ゼロが続いている。若手社員と話すと、「このような時代だから海外に行かないといけない」とは解っているようだけれども、尻込みする。それで「そっと背中を押してやらないといけない」といった話しがありましたた。           

 そのような状況ですから、文科省は、グローバル人材育成の施策の一つとして、高校生の留学を促進しようと、来年度は、予算を今年度の1億円から10億円にして、留学支援者を今年の50人から2000人にしようと考えているようです。単純に人口比で考えると、宮崎県は20人が対象ということになります。つまり、皆さんの中から、5,6人が国費留学の対象になっても不思議ではないということです。

 国はそのような課題意識、危機感を持っているということです。しかし、そうは言っても、大方の人は、おいそれと留学ができるものではありませんね。ただ、大宮は幸い、いろいろと外の刺激を受ける環境としては恵まれています。留学など海外経験者が何人か在籍していますし、先日のように外国の高校生に訪問してもらったり、ケルンやチューリッヒなどに居住して世界的に活躍されているヴァイオリニストに3名も一緒に体育館まで来て、ストラリバリウスにも匹敵するような名器を奏でていただいたり、海外で活躍している先輩達の講演会を開いてもらったりして、とても有り難いことです。

 皆さんは、世界的なヴァイオリニストたちの演奏や日頃の生活ぶりなどの話しを聴いて何を感じたでしょうか。また、文情科1年生はインドや台湾の高校生と交流して何を思ったでしょうか。

 私は、インドや台湾、韓国などの教育事情を耳にするたびに、「ああ、日本はこれじゃあ太刀打ちできないなあ」「グローバル化の中で、日本は取り残されるのではないか」と思ってしまいます。目の色が違うし、取り組みが違います。語学一つとっても、台湾や韓国では、英語はできて当然で、第2外国語として日本語やフランス語、ドイツ語、ロシア語などが履修されているようです。一昨年、宮崎に来たソウル市立慶福ビジネス高校では、第3外国語までやっているという話しでした。                   

 日本の若者は、ぼんやりしていたり、うじうじしていたりすると、気づいたら世界の若者たちに大きく水を開けられていた。日本は「ガラパゴス」になっていたということになりかねません。     

 都会の子どもたちの強みは、外からの様々な刺激が多いことです。残念ながら、地方はそれが弱い。しかし本校は、県庁所在地の中心部にあって、県の芸術劇場や美術館、博物館などの文化施設に近く、文化的な刺激や外国の高校生の訪問があったり、海外で活躍される先輩方もたくさんおられるという、折角、恵まれた環境にあるのですから、皆さんの「琴線に触れる」場面が数多くあってほしいと願っています。そうすれば、授業を2,3時間カットしても、それが10時間分にも20時間分にもなって返ってくるはずです。     
  3年生は、目前のセンター試験、国内の競争にしか意識がないと思います。それは仕方ないですが、どうか、1年生も、2年生も、これからはライバルは日本国内だけに止まらないという気構えを持ってください。

  終わりに、皆さんの年末年始の健康管理と3年生のひと踏ん張りを念じて、2学期終業式の挨拶とします。                   
 皆さん佳い新年を迎えてください。


Modified : 2012-01-19

平成23年度 2学期始業式講話                    

 
  皆さん こんにちは
 いよいよ2学期が始まりましたが、今年は、夏季休業期間が少し長かったので、何か少しはやりたいことがやれたでしょうか。
 実質は課外等で何ら変わらず、課外や部活動、弦月祭・体育大会の準備や練習、そして課題に追われて過ぎたという人が多いかもしれませんね。しかし、先ほど表彰伝達をしたように1年生大会等で大変すばらしい成績を収めたりして、それぞれ充実した夏休みであっただろうと思っています。

 さて、2学期の始業式にあたり、2つ話しをします。まず、秋について、秋の細やかさを味わう心を持ってほしいといった話しをします。             

 ずいぶんしのぎやすくなったとはいえ、少し動くと汗びっしょりになり、まだまだ残暑がきびしいですが、目を凝らせば彼岸花が目にとまるし、耳を澄ませば百舌の声が聞こえますので、間違いなく秋がそこまで来ています。                   
  秋は、「スポーツの秋」とか、「食欲の秋」「読書の秋」「芸術の秋」「実りの秋」など、いろいろな言い方がされますね。他の季節では、こうはいきません。「何とかの春」という言い方、何か思いつきますか?ほとんど思いつかないでしょう。夏も冬も似たようなものです。秋が、いろいろ修飾されて言われるのは、それだけ秋という季節が、天候がよく、空気が澄み渡って星がきらめき、いろいろな虫が鳴き、果実も色づいて、いい季節だということでしょう。
 秋は、「白秋」と言いますね。これは、古代中国の五行説のとらえ方です。五行説というのは、万物は、木、火、土、金、水でできているという説で、アリストテレスの四元素説に対応するような自然観なんですが、その五行説では、秋は白なんです。どうして白なんでしょう。春の青は、よく使う「青春」ですが、若葉の緑や瑞々しさにぴったりですね。夏の朱も、灼熱の太陽、暑さに合います。そして、冬は「玄冬」と言うのですが、ゲントウのゲンは、玄関の玄。これに人を付けると玄人です。玄の訓読みは「クロ」なんです。暗く寒いイメージで、合いますね。でも、秋の白は、どうも色感がピンと来ない。皆さんはどうですか? 私は、秋は、豊かで変化に富むから、いろいろな色づけができる「白」なんだろうと勝手に解釈しています。

  話しが逸れましたが、今言いましたように、これから一年中で一番こまやかで味わい深い季節になりますので、夜空を見上げたり、虫の声に耳を傾けたりするような、気持ちの余裕を持ってほしいと思います。どうも我々は、目を引くようにしつらえられたものに目や耳を奪われがちですが、身の回りの天然自然のものにも感嘆させられるものがたくさんありますし、考させられる素材もいろいろあります。いま、品種改良された造花のような花が、どこそこに満ちていますが、通りかかる道ばたや野原には、ヨメナやナデシコ、ハギなど可愛らしい花やきれいな花がたくさんあるでしょう。気にもかけず踏んづけている人もいるでしょうが、君たちには、華やかなものだけに目を奪われるのではなく、足元のあまり目を引かないもの、小さな命の営みにも目を向けるような人であってほしいと願っています。
 3.11で我々に突きつけられたことの本質の一つは、そんなことではないかと思うのです。かつて朝日新聞の「天声人語」を書いていた辰濃和男という人に『風と遊び風に学ぶ』という本があり、水上勉と灰谷健次郎との往復書簡を本にした『いのちの小さな声を聴け』というのがあります。どちらも、今言ったようなことがテーマになっています。ぜひ、一度読んでみて下さい。

  2つ目の話しは、「学び」についてです。
  「またか」と思うでしょうが、1学期の終業日にとった「新たな取り組み」に関するアンケートの結果を見ての感想です。後で、担当の教務部から詳しく話しがあるようですので、私は、かいつまんで話します。                         まず最初の「先生方の授業は変わりつつあると思うか?」という問いに対する答えは、学年によって少し違いがありましたが、全体では4割強の人が、「思う」「どちらかといえば思う」と答えていました。私は、「意外に多いな」と思いました。なぜなら、先生方は、これまで培ってきた自分のスタイルを持っておられて、そのスタイルを変えるのは、そう簡単ではないからです。その他の質問では、課題の量や模試等の回数に関して「多い」「減らすことに賛成」と答えた人、ノーチャイム制に対し「自分で自主的時間管理を心がけている」人、1単位を減じてつくった「大宮学びの時間」を有効に使っていると自己評価した人、「受け身の勉強から脱却しようとしている」と答えた人は、いずれも7割から8割で、高かったです。君たちは利口だから、中には「クレバーハンス」的な票もあるのかもしれませんが、概ね前向きに「新たな取り組み」に向き合ってくれているなあと、大変うれしく思います。
  ただ、宿題の量が減ったり、朝課外がなくなると「不安だ」と4割の人が答え、課題をこなす時間以外の宅習時間をほとんど確保できていない人が多いという実態は、何とかしないといけませんね。本校は、「あれかこれか」ではなく、「あれもこれも」を標榜していますが、それが「勉強も、部活も、生徒会も」ということではなく、テレビ番組を「あれもこれも」見たり、遊びも「あれもこれも」したりして時間を失っている人はいないでしょうか。「やっぱり、生徒は怠け者で、宿題をいっぱい出して、尻をひっぱたき、鼻面を掴んで引きずって行かないと駄目だわ」とならないように頑張ってください。
 昨今、新規採用で外国人枠を増やす企業が多くなっています。パナソニックやユニクロの8割とか、日立やソニー、楽天などたくさんありますね。その背景には、グローバル化の中で、外国語ができるとか、当地の事情に詳しいということだけでなく、主体性とか積極性、コミュニケーション力、自分の考えをしっかり持って、それを発言するなど、日本人が弱いといわれている面の問題もあるんじゃないかと思うのです。
 勉強に限らず、何事も自分で主体的に取り組むようになってください。校是の「自主自律」とは、そういうことでしょう。  

 2学期に向けて、2つの話をいたしました。
  長い2学期です。まずは、来週の弦月祭、体育大会に全力投球して、思い出深いすばらしい大会にしてください。そして、終わったら、気持ちをさっと切り替えて、実りの秋に向けて邁進してほしいと思います。皆さん一人一人にとって充実した2学期になるよう願って、始業式の挨拶とします。 

                                                                                                                               平成23年9月1日                           


Modified : 2012-01-19

  平成23年度第1学期終業式挨拶

   皆さん こんにちは 
   あっという間に1年の3分の1が終わって、1学期の終業式を迎えました。 
 ミラクル台風が過ぎて、一気に夏空が広がりそうですし、今年はセミが鳴きださないと心配していましたが、ようやく鳴きだし、いっそう暑苦しさが増しそうです。 

 今日は、終業式にあたり、2つのことを話します。                
 まず、「学び」の質についてです。               

 今年度は「大宮第3の時代」の構築に向けて、校是の「自主自律」にいっそう磨きをかけることを掲げました。そのため、授業時数の1時間削減とかノーチャイム制の導入、テストの精選、校務分掌に研修部を創設など、いくつかハード面の改革を行い、皆さんにもいろいろと投げかけて来ました。今朝の読書講話もその一環です。
 先日は、先生方が半日かけて、「学習指導の『量』から『質』への転換」について、教育委員会からも来ていただいて研修会を持ちましたし、先日の生徒総会も、テーマは宿題の量などに対する意見集約だったと聞いています。                       

  そこで、学びの「質」について、具体的な話をします。「学び」ですから、皆さんが主体の話です。

 「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」という芭蕉の句がありますね。この句は、多分、中学校でもやったし、高1の2学期後半にも出て来ます。
 自分の高校時代を思い出すと、「おくの細道」の冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に …… 」を諳んじたり、何か文法的なことをやったりしましたが、この句は、立石寺で読まれた句で、他に夏の句には、「夏草や兵どもが夢のあと」とか、「五月雨をあつめて早し最上川」とかがあって…、なんて憶えたりしましたね。でも今思えば、高校の時、例えば「しずかさや」の漢字は、どうして静寂の「静」ではなく、閑散の「閑」の字を当てるのだろうと、なぜ疑問に思わなかったのかと思います。皆さんはどうですか。そう思いませんか。                   

 また、「岩」は、どんな岩石なんだろうとか、そもそも、このセミは、何ゼミだったのだろうかとか、次から次に疑問が湧くでしょう。どうですか。     
  大理石みたいな変成岩なら少し硬い感じだから、「しみ入る」じゃなくて「しみ付く」くらいにしただろうし、今日校庭で、「ワシ、ワシ、ワシ…」と鳴きだしたクマゼミは力強いけどうるさいし、ヒグラシの「カナカナ、カナカナ…」という声では、静かさにはぴったりだけど、「しみ入る」力はないなあなど、いろいろ考えるでしょう。
 芭蕉も、ずいぶん推敲に推敲を重ねて、結局、この「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」に落ち着いたようですが、それにはそれなりの理由があるはずですね。
 今なら、インターネットなどで立石寺近辺の岩石は何岩か、旧暦の5月末頃、山形あたりで鳴くセミは何ゼミか。いくらでも調べられます。そうすると、岩石は、凝灰岩で、宮崎あたりでよく塀や敷石に使われている清武石のような石で、火山灰が固まった岩石だからあまり硬そうじゃないなあということが判るし、セミについても、クマゼミは関東以南が生息地だからクマゼミではないだろうとか。二人の文人、山形出身の斎藤茂吉と漱石の弟子の小宮豊隆との間で大論争があって、現地調査までして、結局、アブラゼミではなくニイニイゼミだろうということで小宮に軍配が上がったとか、そんなことが分かる。もちろん、昨年このあたりを飛び回ったキオビエダシャクは、元々は沖縄あたりの南西諸島に棲んでいる蛾で、少しずつ北上してきて、昨年の大発生ですから、生き物の世界は、昔は今と違うところがあるかも知れませんけどもね…。
 まあ、興味がある人は調べてみてください。

 このように少し違った視点を入れて考えると、鑑賞も深まるし、トータルな力になるでしょう。小説なら、社会的背景の視点を入れるとか、数学なら、授業でやった標準的な解答だけでなく常に別解を考えるとか、物理だと、闇雲に公式を、例えば、「d」は極板間の間隔で「S」は極板の面積で、と丸暗記するのではなく、「d」はdistanceの「d」で、「S」はsurfaceの「s」なんだ、といった感じで公式を捉えれば、広がりも出てくるでしょう。一つの例ですが、これが「学び」の質の高まりではないかと思います。

 「憶える」だけではなくて「考える」。「守り」ではなく「攻める」勉強を。問いに「どう」答えるかではなくて「なぜ」という問いを発する。
 これが、学びの「量」から「質」への転換の鍵です。

  次に、「言霊」と「念ずる」についてです。
  一昨日の、ワールドカップの決勝戦、観ましたか? 私は、3時半頃起き出して、ライブで応援しましたが、日本代表の逞しさ、ねばり強さに本当に感動しましたね。    

 ところで、野球の宮崎大会の開会式で、河野知事から次のような激励がありました。 
 「『言霊』という言葉があります。知事選の時のマニフェストに、高校野球の甲子園優勝を掲げました。九州で全国優勝をしていないのは宮崎だけになって、県民の大きな悲願です。ぜひ、言霊の力を信じて、突き進んでほしい」というような内容でした。    「言霊」とは、口に出した言葉には言葉どおりの結果に導く力があるということです。

 その話しを聞きながら、弦月講演会で谷 広海さんが口にされた「念ずれば 花ひらく」という言葉を思いました。                            

 「念ずれば 花ひらく」。熊本出身の坂村真民の詩で知られる言葉です。こんな詩です。

   念ずれば
   花ひらく

  苦しいとき 
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのころからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった

  この詩は、真民が8歳の時、父親が急逝して、自分と弟、妹の5人の幼い子どもを苦労して育て上げた母親のことを思って作った詩です。

   念ずれば
   花ひらく

  苦しいとき 
  母がいつも口にしていた
  このことばを
  わたしもいつのころからか
  となえるようになった
  そうしてそのたび
  わたしの花がふしぎと
  ひとつひとつ
  ひらいていった

 「念じるだけで、花がひらくものか」と思う人がいるかも知れませんが、「念ずれば 花ひらく」とは、何ごとも、成就できることを信じて、念ずるように一心に努力すれば、自ずと道は開けるということです。なでしこジャパンの澤キャプテンが「神様はいた」と言いましたが、やればできると信じて苦しい練習にも耐えたから、勝利の女神がなでしこに花を咲かせたのです。
 神様は外にいるのではなくて、自分の中にいるんじゃないかと思います。

 先日、保健室の前や廊下に立ててある七夕かざりの短冊にいろいろな願いごとが書いてあるのを目にしましたが、まず、願いごとを言葉にすること。そして、念じるようにその実現に向けて一途に取り組むこと。でないと、願いごとは成就できません。      

 これからいっそう厳しい暑さが続きますが、それぞれ、この夏に何をやり遂げるのか、具体的目標を言葉にして、一心にその目標達成に向けて取り組んでください。     

 これで、1学期終業式の挨拶といたします。                   
                                                            平成23年7月20日


Modified : 2012-01-19
 平成22年度 3学期終業式

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  こんにちは
 ずいぶん暖かくなりました。少し郊外に出れば、早、田植えが始まり、菜の花も目につくようになりました。
 北国、東北でも少しずつ春めいていく喜びを感じていたことだろうと思いますが、一瞬にしてあのような大惨事となり、関東のみならず日本中が大変なことになっています。 まずは、皆さんとともに、被災された方々に心から哀悼の意を表したいと思います。

 (黙祷)

 さて、3学期の終業式を迎え、平成22年度が終わります。     
  3学期は、修学旅行に始まり、先輩達のセンター試験や個別試験、そして卒業式に高校入試と、あわただしく、あっという間に過ぎて行きました。
 皆さんには、始業式で、3学期を消化日といった感じで流すことなく、次の学年の0学期と位置づけて、気を引き締めて取り組んでほしいとお願いしました。
 具体的には、「大きな夢をいだき、自信をもって決意し、戦略を立て、それを実践すること」「我が国や宮崎の現状にも眼を向けること」そして、「日常生活における『自主自律』を確立すること」を年頭に当たり期待することとして挙げました。如何ですか、自分なりに一歩踏み出せていますか。何か変化の手応えを感じていますか。
 昨日、進路指導部や学年会からの進路講話があり、この後、生徒会の学習委員会から他校訪問の報告がありますので、重なるところがあるかもしれませんが、少し話をします。鶴丸高校のホームページを拝見しましたが、進路実績で特徴的なことがあります。それは、国公立大合格者の約半数が過年度卒であることです。特に、東大・京大は19名中13名、九大は 48名中24名です。私大合格者もほとんど過年度卒で、特に、早稲田・慶応は48名中40名が過年度卒です。このことは、何を物語っているでしょうか。皆さんはどう受け止めますか?
 私は、これは、現役では簡単に妥協しない鶴丸生の心意気、鶴丸の校風だと思います。訪問した学習委員の人たちに、教頭先生が「行きたい大学ではなく、行くべき大学に行きなさい」とおっしゃたそうです。
 いま少子化が言われていますが、短大も含めて大学受験人口は、平成4年度入試の約 122万人をピークにだんだん減少して、今年は約66万人になっています。一方、募集定員は、平成4年度は、国公立大約10万2千人、私学を含めると約70万人だったのに対して、今年度は、国公立大が9万6千人、私学を含めて約55万人です。受験人口が大幅に減少しているのに対して、国公立大の募集定員も、大学・短大の総定員もそんなに減ってません。平成のはじめ頃、「あと20年もすれば、大学全入時代が来る」と言われ、大学のレジャーランド化や大学崩壊を危惧する声がありました。実際は、先の数字で判るように、まだ全入にはなっていませんが、大学は、「入れる大学」ではなく「入りたい大学」を選ぶ時代になっていることは確かです。そして、かつては入るのが難しい憧れの「入りたい大学」であったのが、近年は結構スルスルと簡単に「入れる大学」に変わっている大学もたくさんあります。しかし、そんな大学はどんどん社会的評価が下がって行くはずです。
 ですから、皆さんには、単に「入りたい大学」に行くのではなく、自分の本来の力に見合う、または周囲が期待する「入るべき大学」の学部・学科に行ってほしいのです。  「石の上にも三年」で、2~3年かけてでも「入るべき大学」に行くぞ!という気迫を持って取り組んでください。

  次に、大震災についてです。
 大地震に大津波、加えて原発事故と、日本にとっては、敗戦のとき以来の大変な事態ですが、皆さんは、この大惨事の報道を見たり聞いたりして、何を思い何を考えましたか。
  私は、自然の莫大なエネルギーを前に、為す術もなく、車や電車、橋や鉄道など大きな建造物までもが、いとも簡単に濁流にのまれ押し流されているのを見て、大変な虚しさを覚えました。20世紀は科学技術の世紀で、人類は自然をもほぼ掌中に収めたと思い込んでいたのではなかったか。今、がれきを一つ一つを取り除き、ドアをこじ開けていけば、その下やその中でまだ多くの人たちがうめき声を上げているのではないか。でも何もできない。そのことに情けなさも感じました。
 あの日の学校の対応や皆さんの対応はどうだったのかも考えました。今回は、宮崎は、大事にはならなかったけれども、反省すべき点がいろいろあったと思います。その一つは、1年が6限で放課になる前に、あの事態を把握し対応できなかったことです。何か警報や勧告が出たときに、リアルタイムでそのことを把握し即応する体制を強化しければなりません。そして、イソップの童話『羊飼いと狼』の中の村人たちのように、我々が、警報や注意報に対する反応が鈍く、聞き流してしまうようなところも反省すべき点です。

 また、我々の日頃の生活の有り様についても考えました。  
  我々は、電力はじめエネルギーや物を湯水のように使う生活に慣れっこになっていますが、もっともっと節約の意識を持つ必要がありはしないか。「一人の百歩より百人の一歩」で、みんながコツコツと少しずつでも取り組むことは勿論、例えば、ネオンサインの点灯は夜9時までとか、テレビ放送も深夜12時までに制限するとか、そんなことを、国民全体で考え、実行する必要があるとも思います。福島原発の事故で、以前読んだ何冊かの本を思い出しましたが、一つは、『安全性の考え方』です。その中に、私の言葉で言うと、「許容量とは、個人がその害毒をどれだけ摂取しても大丈夫かという量ではなくて、害毒と得られる利益を天秤にかけて、どこまで害毒を我慢できるかという量のことであり、社会的概念である」といった捉え方が書かれてありました。ここでは、「害毒」は放射線であり、「利益」は電力ということになります。『安全性の考え方』は、湯川秀樹や朝永振一郎などと一緒に原子核や素粒子の研究をした武谷三男という物理学者の編集した岩波新書です。今は絶版になっていますが、県立図書館にはあるようです。また、科学技術と文明について論じられた、哲学者、唐木順三の遺稿『科学者の社会的責任についての覚え書』と併せて紹介します。どちらもちょっと難しいかも知れませんが、十分読めるはずです。機会があったらぜひ手に取ってみて下さい。
 さて、日本列島は、いくつものプレートがぶつかり合う世界一の危険地帯にあたり、日向灘にも震源の巣があることは周知のことです。マグニチュード7、8クラスの大地震がいつ起こっても不思議ありません。でも「それは、今日、明日ではない。いつかそのうちだろう。some dayだ」と自分に無意識のうちに言い聞かせて、心の安定を得ているところがないでしょうか。しかし、「some day」は、必ず「one day」になります。今回の大惨事を大きな教訓にしたいものです。
  少し長くなりましたが、これで、3学期終業式のあいさつとします。   
                                               平成23年3月23日


Modified : 2012-01-19

卒業式 式辞

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  校庭の桜のつぼみも膨らみを増し、沈丁花の香りが漂いはじめて、今年も希望に満ちた春が巡って来ました。 
  ここに、県教育委員会はじめ多数のご来賓、保護者の皆様のご臨席を賜り、宮崎大宮高等学校第63回卒業式を盛大に挙行できますことを心から感謝申し上げます。 
 蛍雪の功成り、卒業証書を手に本校を巣立っていく398名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんの門出を心から祝福いたします。
 皆さんは、3年前、期待に胸を膨らませて大宮の門をくぐり、この3年間のほぼ半分の時間をこの学舎の中で過ごしてきました。早朝課外に始まり、七時間の授業、そして部活動に午後課外。弦月祭・体育大会などの行事や生徒会活動、ボランティア活動にも情熱を注ぎました。特に昨年は、数十年に一度の機会に巡り合わせた全国高校総合文化祭宮崎大会を盛り上げ、口蹄疫惨禍に苦しむ県民に感動と元気を与えることができました。「自主自律」「質実剛健」のモットーの下での、こうした諸活動を通して、皆さんは、知的にも、心情的にも、また身体的にも格段に成長し、確かな手応えを持って本校を後にします。
  21世紀に入って早11年、新世紀は、「共生の世紀」「心の時代」と言われて来ましたが、世の中は、掛け声どおりに進んでいる、とは言い難い現状です。「共生」とは、自然との調和のなかで、人々が様々な違いを乗り越えて協調し共に幸せになることであるはずです。
 しかし、今も、環境問題や資源問題に加え、国家間・民族間の紛争は絶えることがなく、高度技術化、高度情報化、少子高齢化など、社会の変化はいっそう進行し、デフレ不況やグローバル化、規制緩和のなかで、地域間や個人間の格差の拡大が、大きな社会問題としてクローズアップされて来ました。また、これまで安全・安心と思われていたことが次々と崩れて、社会は、変化の激しい、先行き不透明な時代へと着実に変わりつつあります。
 そのような21世紀を担い、リードして行かなければならない皆さんに、所懐の一端を述べ、餞といたします。
 ヨーロッパに、「ノブレス・オブリージュ」という道徳観を示す言葉があります。「高貴さは義務を強制する」という意味ですが、新渡戸稲造は、著書『武士道』に、「武士道とは、武人階級のノブレス・オブリージュである」と書き、武士の果たすべき行動規範をいくつか挙げています。武士でなくとも、それぞれの立場、地位には、それぞれ果たさなければならない義務や責任があります。そして、そもそも「高貴さ」は、その富や権利に由来するのではなく、あくまで、期待される義務や責任を果たすことによって生まれるのです。これまで皆さんは、多分に「できることをすればいい」「好きなこと、やりたいことをやればいい」という思いを持ってきたでしょう。個性重視や選択の時代といった掛け声のなかで、そのような風潮が強くなり過ぎているきらいもあります。
 しかし、これからは、否応なく、やるべきこと、期待されることをしなければならない立場に立たされていくという覚悟を持ってください。
 『武士道』では、行動規範の一つとして「仁」が挙げられていますが、太宰治は、フランス文学者の河盛好蔵に宛てた手紙で、文化の本質について触れ、「私は、優といふ字を考えます。これは優れるといふ字で、優良可なんていふし、優勝なんていふけど、でも、もう一つ読み方があるでせう?優しいとも読みます。さうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。人を憂へる、人の淋しさ侘びしさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢゃないかしら」と記しています。『走れメロス』を書いた太宰らしい思いであります。皆さんが、社会のために汗を流し、人のために涙を流す精神をもって、「共生の世紀」の牽引車になってくれることを期待します。
 生涯学習社会の到来が言われて久しくなりますが、今日の卒業式は、高校生活が終了するという一つの節目に過ぎません。明日からは、甘えの許されない、人生の本当の学びの始まりです。
 近年、山々の保水力の低下が話題になります。少しまとまった雨が降ると下流に大水が出、少し日照りが続くとダムや池が渇水するという、かつてはあまりなかった現象が各地で発生するのは、その所為だと言うのです。なぜなら、樹木の伐採で腐葉土がなくなって水を含みにくくなり、葉を繁らせた樹木だけでなく下草もなくなって、地表に直射日光があたり蒸発しやすくなったと考えられるからです。
 我々の人生も、晴れの日もあれば雨の日もあります。そのようなときに、一喜一憂することなく自分の信じる道を進んでいくには、山々の保水力のように、人間の奥行きや幅を広げ、柔軟性を高めておく必要があります。そのためには、日頃から様々な活動に参加し、多くの人とふれ合い、文化芸術に触れ、多くの書物を手にして、自分の心や頭を耕す、たゆまぬ努力が欠かせません。
 情報が氾濫し、価値観も錯綜するなかで、ややもすると自信を失い、自分を見失いそうになることがあるかもしれませんが、本校での「真理を探り、美にあこがれ、体を鍛え、善を行なう」諸活動で培った力と、生来の自分のよさ・持ち味をしっかり見つめ、自信と誇り、そして勇気をもって、自分らしい判断、生き方をしてほしいと思います。
 最後になりましたが、保護者の皆様には、本日は、誠におめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。よく、「這えば立て、立てば歩めの親心」と申しますが、我が子の立派に成長した姿を前に、感慨も一入のものがあろうかと存じます。保護者の皆様のこれまでのご労苦に対し、深く敬意を表しますとともに、本校の教育活動に対し、物心両面から多大なご理解とご協力をいただき、改めまして厚くお礼を申し上げます。どうぞ今後とも、本校へのご支援・ご声援をよろしくお願いいたします。
 また、ご来賓の皆様には、ご多用ななかご臨席を賜り、卒業生の門出を祝福いただき、ありがとうございました。これからも引き続き卒業生へのご指導と本校への一層のご支援をお願い申し上げます。
 それでは、名残は尽きませんが、皆さんの洋々たる前途に幸多かれと祈念しつつ、式辞といたします。 
                          平成23年3月1日  


Modified : 2012-01-19

平成22年 3学期始業式

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 新年あけましておめでとうございます。                      
 決意も新たに、清々しい新年を迎えたことと思います。
 しかし、初春とは名ばかりで、まだまだ厳しい寒さが続きますが、3年生は、いよいよセンター試験まであと8日になり、もうひと踏ん張りもふた踏ん張りもして、これから自分の進路実現を果たさなければなりません。気を引き締めて3学期の順調なスタートを切って下さい。                                      
 これは、1・2年生も同じです。

 さて、皆さんは、新年にあたってどんなことを願い、どんな決意をしたでしょうか。
 よく「一年の計は、元旦にあり」と言います。これは、わが郷土の偉人、幕末の儒学者、安井息軒が、                                 
  一日の計は朝にあり
  一年の計は春にあり
  一生の計は少壮の時にあり
と説いた言葉から来ています。                       

  「少壮」とは、「若くて元気いっぱいの頃」を指します。まさに、皆さんの年頃です。そんな頃に、何を決意し、何を始めるかで一生が決まる、ということです。       
  皆さんは、それぞれ大きな可能性を持っています。バラエティーに富んだ人生の選択肢がいっぱい残されています。                 
 悲しいことに、私くらいの年齢になりますと、もう大概決まってしまっていて、人生の分岐点も、選べる選択肢もあまり残っていません。
  しかし、皆さんは、まだまだこれからです。              

 足下の現実をしっかり見据えて物事を考えることは大切ですが、将来を現実に合わせるのは愚の骨頂です。思い描く理想の将来に合うように、現実を、つまり、自分を変えていってほしいと思います。周りの環境はなかなか変えられませんが、自分自身はいくらでも変えられるはずです。
 
   先日、通勤途中、ラジオを聞いていたら、今年期待されるスポーツ選手へのインタビュー番組にジャイアンツの長野選手が出ていました。長野選手は佐賀の出身らしく、アナウンサーが小学生の時の文集を紹介してくれました。自分の将来の姿として、「僕は、ドラフト1位指名でジャイアンツに入団。今、9回裏、2アウト1・2塁、一打逆転のチャンス。バッターボックスは4番長野。あっ、打ちました。大きい、大きい。入りました。逆転ホームランです」というようなことが書かれていました。今は180センチくらいで、プロ選手としてはあまり大きい方ではないかもしれませんが、小学生の頃は、体が小さく、毎日牛乳をたくさん飲んでいたと話していました。並々ならぬ努力で、小学生の頃の夢を現実のものにし、昨年、セントラルリーグの新人王に輝いたのです。

 夢と自信、決意にストラテジー、そして実践。これが、年頭に当たり皆さんに期待することです。 

 ところで、「何事も最初が肝心だ」と説いた息軒先生は、一方では、「半九」という言葉を座右の銘にしていたそうです。  
 「半九」とは、耳慣れない言葉ですが、清武では、文化会館の大ホールを「半九ホール」と銘打ったりしています。この「半九」とは、中国の古典、『戦国策』の中の「百里を行く者は九十を半ばとす」という言葉を縮めたものです。徒然草の「高名の木登り」でも同じような話が取り上げられていますが、「何事も、あともう少しになってからがむつかしくて苦しい。また、終わりが近づくと気が緩んで失敗しがちなので、九割方進んだところをやっと半分と思い、最後まで気を抜かずに細心の注意を払って頑張れ」という教えです。 3学期は、1年間で言えば、スタートの時に当たりますが、年度、学年で言うと、詰めの学期です。そんな気持ちで取り組んで下さい。            

  息軒先生については、小学校の郷土学習でも学んでいるでしょうが、息軒の旧家が、清武川の手前左手の丘の上に、国指定文化財として保存されているので、時間をつくって、できたら梅の花が咲く頃に行ってみるといいです。また、森鴎外が「安井夫人」という短編小説を書いています。息軒というより、その妻となった佐代夫人の立派さについて書いたものですが、これも一読を勧めます。  

  さて、宮崎は、もうすぐ知事が河野知事に替わります。この4年間で、宮崎の知名度も急速に高まり、観光客も増えて、マンゴーなど県産品の売り上げもずいぶんと伸びましたし、県民の、特に子どもたちの「やれば、できる」という自信も高まったと思います。
 しかし、県の財政難や医師不足、農林漁業の担い手不足、工業振興など、課題は、依然として解消されていません。また、いっそうの観光振興も課題ですし、昨年の口蹄疫で受けた大打撃からの復興も大きな課題として加わりました。県政財界のトップの方々の新春座談会や談話を見ても、多くの方がそのような課題を取り上げられておられました。

 皆さんは、あまりそんなことに関心が行かないかもしれませんが、これから21世紀を担わなければならない、リードしていかなければならない人たちですから、ぜひ、我が国や本県の現状にも眼を向けてほしいと思います。     

 「自主自律」の確立については、2学期の終業式でも触れましたが、皆さん自身に意識的に取り組んでほしい「自主自律」の確立もあります。第112期総務委員会による活動がスタートしましたので、今年は、生徒会が中心になって、行事・イベントなどのときに発揮される「自主自律」だけでなく、日常的な、例えば清掃の取組みだとか、交通マナー・バスマナーの向上など、自分たちにとってあまり気乗りしないこと、きついことなどでも発揮される「自主自律」の確立にも取り組んでほしいと思います。       

 昨年の暮れは大寒波で、宮崎にしては珍しく山々に雪がかぶっていました。31日の朝、鰐塚山が真っ白になっているのを見ながら、蕉門の一人、宝井其角の「我が雪と思えば軽し笠の上」という句を思いました。                      
 皆さんも、つらいこと、きついことでも自分のためと思えば、それ程きつくはないはずです。

 3年生は、高校3年間の集大成です。最後まで気を抜かず、あきらめず、細心の注意を払って「画竜点睛」が成ることを祈念します。また、1・2年生は、2・3学年の0学期と位置づけて、この1年間のまとめや来年度に向けた取り組みを開始するよう期待して、3学期始業にあたっての挨拶とします。

                                   平成23年1月7日


Modified : 2012-01-19
平成22年度 2学期終業式

 長かった第2学期も終業式を迎えました。                   

  2学期は、弦月祭・体育大会に始まり、作家の海堂 尊さんはじめ、いろいろな方の講演会、大学の出前授業や大宮ハローワーク、学習会、発表会など、たくさんの行事がありました。部活動でも、先ほど、表彰伝達をしたように、県レベルの大会だけでなく九州大会や全国大会で、100近い個人、団体での入賞を果たすなど、大変すばらしい成果を挙げました。また、「神武さん」や「青太マラソン」のボランティアにもたくさんの人が参加してくれました。
 1学期は、口蹄疫で沈んでいましたが、その口蹄疫が終息した喜びと、全国高総文祭を無事やり終えた満足感、達成感のなかで、充実した2学期を過ごした人も多かったと思います。

  ところで、私は、始業式で皆さんに秋に因む3つの事を投げかけましたが、どれくらい取り組んでくれたでしょうか。 
 「握力」については、皆さんが意識してやってくれているか、来年のスポーツテストに結果として出てくるといいなあと思います。「顎の力」の方は、皆さん自身しか判らない話です。「読書」に関しては、1・2年生、一人一人がつくった読書紹介カードの「ポップ」が、廊下等に掲示されているのをひととおり1枚1枚見せてもらいました。全体的には、最近の小説家の作品が多かったように思いますが、中には、漱石や三島由紀夫などの、まあ皆さんから言えば古典になるんでしょうか、少し旧い作家の小説や新書、または中国の古典、「金瓶梅」などを紹介している人がいて、「ああ、結構いろいろな本を読んでいるなあ」と感心しました。図書貸し出し冊数も昨年の1.5倍、一昨年の2倍近くになっているようで、いろいろな取り組みの成果だと、大変嬉しく思います。

  さて、学校では、今年度、「サードステージ・プロジェクト」と銘打ったプロジェクト会議を発足させ、今後の大宮高校のあるべき姿について、検討を進めてきました。
  「サードステージ」とは、本校が、一昨年の創立120周年を契機に、新たな時代、「第3の時代」に入ったと言われていることに由来します。              
 新たな時代の背景として、実質、何が変わったのか。それは、合同選抜制に続く通学区撤廃という高校入試制度の大きな改革に伴う変化であり、それをどうとらえ、どう対応するか? これが、このプロジェクトのテーマです。
  つまり、大宮高校伝統の「自主自律」「質実剛健」のモットーを具現化する、大宮高校らしい学校の在り方を問い直すということです。
  その結果、いくつかの具体的な取り組みを実践していこうという結論に至っています。
「ノーチャイムの導入」「模試の精選」「行事の見直し」など、いくつかありますが、今日は、「授業時数の1時間削減」に絞って話をします。               

 このことについては、新聞部がアンケート調査を行い、「言の葉」で論評していましたので、よく知っていると思います。    
  歓迎の声がある一方、「言の葉」でも触れられていたように、「ただ、時間を与えるだけでいいのか」とか、「学力が下がるのではないか」「教科書が終わらないが…」といった心配の声も聞こえてきます。                       

 全国的に見れば、九州の普通科高校は、授業時数を多く取ったり、課外をたくさんしたりしているところが多いのですが、その九州の中でも福岡や長崎などで、週32時間でやっている高校も結構あります。大宮高校のような進学校でです。心配だという思いはよく解りますが、皆さんなら十分できます。私は、その方が皆さんにとってプラスになると信じています。
 勉強のよだきい人は、たくさん与えられて、尻をたたかれないと勉強しません。しかし、そんな勉強で身につく力は、高が知れています。自分で積極的に、「自主自律」で勉強してはじめて本当の力になると思います。このことは、1学期の始業式で、「スポーツ選手の一流と一流半の違い」でも話したことです。          

 本校では、幕末の志士、橋本左内の「稚心を去れ」という言葉が、いろいろな場面で語られてきましたが、皆さんが「稚心」を去り、「自主自律」のモットーを具現化するためには、手はできるだけ放す必要があると考えています。

 話は少し変わりますが、セレンディピティという言葉があります。聞いたことありますか。
 今年、ノーベル化学賞を受賞された鈴木章先生が口にされたり、多くの方が使われていますので聞いたことのある人も多いでしょう。「s」「e」「r」「e」「n」「d」「i」「p」「i」「t」「y」と綴りますが、小さな辞書には載っていません。これは、ペルシアのおとぎ話からつくられた言葉で、「偶然がきっかけですばらしい発見をする能力」といった意味だそうです。

  科学史上、偶然に大発見をしたという話はたくさんあります。ニュートンが、ペストの大流行で大学が閉鎖になったために田舎に帰っていて、リンゴが木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見した話、アルキメデスが、浴槽からお湯がこぼれ出るのを見て「浮力の原理」を発見し、浴槽から「ヘウレーカ」「ヘウレーカ」と裸で飛び出したという話、フレミングがペニシリンを発見したときの話もそうですし、エルステッドが「電流によって磁界ができる」という事実に気づいた時の話もそうです。そんな話は、他にもたくさんあります。                        

 しかし、どれも、単なる偶然、幸運というのではなく、それまでずっとそのことを考え続けていたという背景があります。卑近な話ですが、宝くじは、買わないと、また買いつづけないと当たらないのです。もちろん、大発見は、一人の天才の力に負うところが大きいのですが、その天才が力を発揮する土壌は、他の多くの人たちによって作り上げられていたという背景もあります。                       
 つまり、「セレンディピティ」は、全くの偶然、まぐれによるのではなく、ちゃんと下準備ができて、外的にも内的にも、機が熟した環境で発揮されるのです。

 科学技術分野に限らず、芸術文化分野でも、例えば、今年生誕200年のショパンが活躍した19世紀前半、リストやシューマンといった作曲家たちが多くの名曲をものにしているのも、後半には、印象派と言われるモネやルノアール、セザンヌなどが同じ頃に次々に秀作をものにしているのも、まあ、専門家に言わせると少し違うのかもしれませんが、これは、単に、天才たちのなせる技というだけでなく、王侯貴族の資金的援助があったにしろ、背景に互いに競い合う芸術的な熱い雰囲気があったからではないかと思います。

 どうか皆さん、尻をたたかれて、ではなく、自主自律で、互いが刺激し合い、高め合う「熱い雰囲気」を大宮高校にみなぎらせましょう。

  これから年末年始と、巷は騒々しくなりますが、3年生はいよいよ大詰めです。体調管理をしっかりして、センター試験に向けた準備をしてください。1,2年生も3年生をしっかり応援してほしいと思います。

  それでは、よい年を迎えてください。
  簡単ですが、2学期終業式の挨拶とします。

                                      平成22年12月22日


Modified : 2012-01-19

 平成22年度 2学期始業式

 皆さん こんにちは。いよいよ2学期が始まりました。
 課外や部活動、いろんな行事などで息つく間もなかった人も多いかと思います。
  特に、全国高総文祭は、お疲れ様でした。高校生の力が結集して、すばらしい文化の祭典になりました。宮崎県も口蹄疫から立ち直る起爆剤になったと思います。

 さて、この2、3日朝夕幾分しのぎやすくなったとはいえ、まだまだ残暑厳しい中ですが、秋に絡めて3つの話をいたします。 

  まず1つ目は、スポーツの秋に因んで「握力」の話です。
  皆さんの「スポーツテスト」の結果で、他の項目はほぼ、全国平均・県平均並か、少し上回っているのに、8項目の中で、なぜか「握力」だけは、全学年とも女子で1~2ポイント、男子で2~4ポイント、全国平均、県平均を下回っています。

 「物をつかむ」という手の機能は、ヒトがヒトたる所以だと思います。
 そもそも、四足歩行の動物が、凶暴な肉食動物に追われたり、または木の実などを求めて、崖や木によじ登る、その過程でだんだん前足が物をつかむ「手」に変わっていったのです。直立歩行をするようになり、自由になった前足が、ますます器用に動く指をもった今の手の機能を獲得していき、そのことによって道具を使うようになり、頭脳もいっそう発達して「ヒト」となってきたのだ思います。             
 このような意味でも、スポーツの基礎としても、握力は、とても重要です。その握力が大宮の生徒は弱いというのです。由々しきことです。

 では、どうするか。
 簡単なことです。皆、1日に30回くらい、こうやって、手のひらを爪の跡が付くくらい握りしめる。毎時間、授業の途中で3回くらい、こうやって「ギュッ」と握りしめることをやる。3回で、ものの10秒から20秒です。できたら、授業の先生に25分くらい経った頃、号令をかけてもらって、両手を挙げて、こうやって一斉にやると頭の血の巡りも良くなって一石二鳥です。また、自宅でも、浴槽につかっているときや、勉強中の眠気覚ましなどでやってほしいと思います。そうすると、握力だけでなく学力もいっそうついていくはずです。是非取り組んで下さい。

 2つ目は、「ガクリョク」の話です。
 「ガクリョク」とは、皆さんが、耳にタコができるほど聞かされている「学力」ではありません。顎の力です。かみ砕く力の「顎力」です。
 これから夏バテの食欲不振を脱して、食欲の秋です。
 よく食べること、しっかり食べることは、しっかりした体づくりに不可欠ですが、でるなら、半分すりつぶしたような物、流動食のような物ではなくて、歯ごたえのある物又は形で、例えば、リンゴなら、ジュースではなくて、また、食べやすく8つ切りにした形ではなく、丸ごとかぶりつくような、奥歯でかみ砕くような、そんな食事をしてほしいと思います。               
  「顎の力」を高めるためによく咬むことは、体力をつけることだけでなく、根気強さや粘り強さをつけること、脳を活性化させることにもつながるはずです。

 3つ目は、「読書」の話です。二学期は、灯火親しむ、読書の秋です。
 今年は、「国民読書年」であり、本校は「読書活動推進校」に指定をされたので、いろんな本を今まで以上に奮って読みましょう、という話は、何度かしてきました。先生方に「私のオススメの1冊」も紹介してもらいましたし、図書部や生徒会図書委員会が、図書館活用推進のためのいろいろな取り組みも行っています。

  また、来月11日には、「チーム・バチスタの栄光」などで著名な小説家の海堂 尊さんに、本校で講演もしていただきます。

  読書の効用については、繰り返しません。
 10年くらい前、「ら」抜き言葉など日本語の乱れが指摘されたり、大野 晋さんの「日本語練習帳」や齋藤 孝さんの「声に出して読みたい日本語」が、ベストセラーになって、日本語ブームがわき起こりましたが、一時のブーム、出版界だけのブームで終わったような感もあります。

 2年ほど前、水村 美苗という文学者が、「日本語が亡びるとき ~ 英語の世紀の中で」という著書を出しました。ことばと文学、ことばと学問、ことばと国家、といったことについて論じていますが、そのなかで、このインターネット社会、グローバル化の波のなかで、今、地球上にある6千ぐらいの言葉のうち、8割以上が、今世紀末までに絶滅するであろう。日本語も例外ではない、危ないと述べています。

  中身を詳しく話すつもりはありません。自分で読んでみて下さい。第1章のプロローグがちょっと「かったるい」感じがしますが、あとは一気に、300ページ余りですから、まあゆっくり読んでもひと月もあれば読み取るでしょう。私には、ここ数年では、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突と21世紀の日本」とともに刺激的な読書でした。
「私のオススメの1冊」で、国語の西内依子先生も紹介されています。文系の人はもちろん、理系の人も是非読んでほしいと思います。そうすれば、なぜ、「読書!読書!」と言われるのか、なぜ、読書を国民運動にしないといけないのかも解るはずです。

  2学期に向けて、実りの秋に因んで3つの話をいたしました。
 これからだんだん気候もよくなります。長い2学期です。
 早速、弦月祭、体育大会と続きますが、特に3年生は、エネルギーと力を完全燃焼させてすばらしい大会にしてください。そして、終わったら素早くさっとモードを切り替えて、自分の進路達成に向けて邁進してほしいと思います。
 1・2年生共々、充実した実りの2学期になるよう祈念して、始業式にあたっての挨拶とします。  


                                           平成22年8月24日


Modified : 2012-01-19

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