
○ 昭和35年頃
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戦後宮崎市が発展するにつれ、再び港の整備が強く望まれるようになり、昭和32年から港湾改修事業として河口に導流堤(どうりゅうてい)が建設されました。 |
■導流堤(どうりゅうてい)
→河口を小さくすぼめることで、流れの勢いを増し、砂や土砂が溜まらないようにする施設。
○ 昭和45年頃
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導流堤の建設に続いて物揚場(ものあげば)、岸壁(がんぺき)の建設等により、昭和44年9月の第一船の入港以来、取り扱い貨物量が大幅に伸びていきました。 |
■物揚場(ものあげば)
→小さい船を泊める場所。水深3.5m 未満のものを言う。
■岸壁(がんぺき)
→大きい船を泊める場所。水深3.5m以上のものを言う。
○ 昭和62年1月
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昭和55年10月、漁協(ぎょきょう)との漁業補償(ぎょぎょうほしょう)を終え、12月に防波堤(南)が国の直轄工事(ちょっかつこうじ)として着工されました。それ以来、本格的な建設工事が進められるようになりました。
昭和62年1月には、ついに、港内と外海を隔てていた砂州(さす)が切り開かれ、6月には宮崎港が暫定開港(ざんていかいこう)されました。 |
■漁協(ぎょきょう)
→漁業協同組合の略。漁業に携わる人たちの集まり。
■漁業補償(ぎょぎょうほしょう)
→港の建設にともない漁業に影響が出ることに対して金銭で補充すること。
■直轄工事(ちょっかつこうじ)
→国が直接工事に当たること。
■砂州(さす)
→砂や小石が海中に細長くつもり、入り江の対岸まで達しているもの。
■暫定開港(ざんていかいこう)→
全て完成したわけではないが、取りあえず船舶の入港を認めること。
○ 平成元年12月
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昭和63年11月、背後圏(はいごけん)の発展、交通体系の充実、社会経済活動の多様化等に対応するため、岸壁(-12m)の新設を含む 係留施設(けいりゅうしせつ)の見直しや海洋性レクレーション施設を盛り込んだ港湾計画の改訂が行われました。 |
■背後圏(はいごけん)
→港を利用することのできる地域
■海洋性レクレーション
→ヨット、海水浴など、海を利用した遊び。
○ 平成3年1月
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平成2年3月、フェリー岸壁(-7.5m)が完成し、待望の新生宮崎港の開港を迎えることになり、4月からは大阪ー宮崎間にフェリーが就航しました。 |
○ 平成7年3月
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平成7年7月に、宮崎港人工ビーチ(サンビーチ 一ツ葉)が暫定オープンしました。 |
○ 平成13年3月
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平成13年7月には、宮崎臨海公園がグランドオープンしました。 |
