このページは,宮崎港湾空港工事事務所の資料から,文章,写真や図を抜粋(ばっすい)して作成しました。なお,専門的な語句が多数出てきていますので文章の内容をできるだけ簡単な表現や言い回しに変えて書いてあります。詳しい出典は,以下の通りです。
「宮崎港工事事務所 二十年のあゆみ」 (平成5年5月発行) |
昭和48年3月、新規に港湾計画が策定(さくてい)され、新たに砂州(さす)を開削(かいさく)してこれを港口とする大型港湾が建設されることとなった。この建設にあたって事務所は直轄事業(ちょっかつじぎょう)として外郭施設(がいかくしせつ)に取り組むこととなった。
施工海域(せこうかいいき)は、わが国でも有数の荒海である日向灘に面し、海岸線はほぼ南北に伸びる砂浜海浜であって、太平洋の高波浪が直撃する。台風常襲地帯にあるだけでなく、夏期は波向きE系のうねり性の波浪が寄せて常に波高が高くかつ周期も長い。年間平均波高も1m程度あり、1m以上が60%を占め、0.5m以下は10%程度にすぎない。冬季は波高1m未満が77%と比較的静穏(せいおん)である。したがって、海上工事に適する期間は冬季に限定される。
また、勾配(こうばい)約1/80の沿岸域の海底には沿岸砂州が発達し、底質の移動が激しい。水深変化は1シーズン2m程度に及ぶこともある。このようなことから、宮崎港は日本でも有数の施工条件の厳しい港湾にあげられるが、このような厳しい条件下で、直轄工事は、昭和55年12月、防波堤(南)の捲き出し工事を皮切りに精力的に進められ、10年余の間を経て、今日の宮崎港の姿を見るに至っている。
事務所開設以来の直轄工事は、工事の変遷表(へんせんひょう)に示すとおり、作業基地、南防波堤、北防、内防に大別できる。以下に、それぞれの工事の概要を記述する。
なお、平成4年度からは、直轄事業として新たに岸壁および航路泊地(一12m)に着手している。これらは、昭和63年度港湾計画改訂の際に計画されたもので、岸壁(がんぺき)は5万トン級の国際観光バースとして整備するものである。平成4年度より航路泊地の浚渫工事(しゅんせつこうじ)に着手した。平成5年度からは岸壁工事も本格化するところである。
防波堤の建設に当り、大量の石カゴや各種ブロックの製作、横出し施設が必要となるが、宮崎港及び周辺の港湾について検討したところ、既存施設は使用できる状況でなかった。このため昭和53年防波堤(南)着工に先がけて宮崎港の砂州部分に作業基地を建設したものである。その規模は延長130m、幅15mで水深一3mの矢板式構造(やいたしきこうぞう)である。防波堤工事着工当初、石カゴは全てここで製作してもので、雑石の陸上げ、積出し、或いは各種ブロックの製作、積出等に使用した。なお、ケーソン製作については細島港で行っている。
本防波堤は、宮崎港の港内静穏度を決定づける第一線防波堤であり、その進捗状況(しんちょくじょうきょう)が防波堤(北)の着工時期及び砂州の開削時期を直接左右するものであった。砂州の開削のためには、本防波堤の基部からの延長が1,400m(進捗率53%)以上及び防波堤(北)の完成が条件であったことから、特に初期段階において、本防波堤の延長が急がれたものである。
構造は、施工が砂州の汀線(ていせん)から始まるもので、汀線部付近は特に海底の砂の動きが激しいため、砕波帯部(さいはたいぶ)の延長500mは水中部の均し作業を要せず、手戻りも少ない捨ブロック式傾斜堤とし、洗掘防止に石カゴを用いた。
砕波帯部の先、延長650mは延長促進(えんちょうそくしん)の要請等を踏え(ふまえ)、ケーソン式混成堤(こんせいてい)としたもので、基礎捨石(すていし)の下には、吸出し防止に合成繊維の帆布(ほぬの)、被覆(ひふく)ブロックの下には、洗掘防止の合成樹脂系(ごうせいじゅしけい)マットを用いた。
さらに、この先は反射波対策を講じることとし、消波ブロック被覆堤を採用した。吸出し防止は、ケーソン式混成堤と同様で、洗掘防止については、石カゴを主体にし、捨石、合成樹脂系マット、アスファルトマットなど種々試み、平成2年度以降は、アスファルトマットを用いている。
また、ケーソン下面には、アスファルトマットを敷いている。これは、ケーソン据付(すえつけ)、消波工施工を同一年度に施工することが困難等を考慮し、施工時の滑動(かつどう)に対する対応として用いているものである。
消波工のブロック重量は、模型実験を実施し、64トン型に決定したもので、これは当時、四建管内の直轄工事では始めての採用であった。
以上、本防波堤の構造は3タイプを基本とするが、施工断面は設計条件の違いにより、延長2,500mで、22断面にのぼる。
施工については次に示すとおりである。
@捨ブロック式傾斜堤(けいしゃてい)
砂州の汀線部から施工するもので、水深一4mまでの延長約160mは、陸上より捲き出し法を取り、この先は海上施工とした。
捲き出し工法ではトラッククレーン(150トン吊)の作業半径を考慮し、1工程の捲き出し延長を10m〜15mにして進めて行った。 施工に当たっては気象、海象予測を利用、台風シーズンを除く期間で工事を施工した。
海上施工時の作業限界波高(H1/10)は当初1mと設定していたが、施工結果では、うねり成分の波浪が多く、作業船の動揺が大きくなり特に据付関係では危険性が高くなるため、0.9mが限度であった。捲き出し工法では、陸上からの作業のため1.3mとやや高くても作業可能であった。また、海底が砂地盤であるため、高波浪の後は、濁り(にごり)がなかなか消えず、このため砕波帯では波浪のみならず、濁りによっても作業が出来ないことが多々あった。
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←石カゴの製作 (拡大写真) |
(拡大写真) 捨ブロックの据え付け→ |
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Aケーソン式混成堤
防波堤計画延長の約1/2に当る1,400mまでをできる限り早く建設する必要があったため、年間を通し施工を行った。3年間で延長650m、ケーソン据付として10〜12凾/年の施工となった。夏場の台風時期の施工方法は、ケーソン1凾(かん)を単位に基礎工一上部工までを1凾ごとに完成して行き、未完成状態で台風等を迎えないよう一連の作業を進めた。冬場の施工は、比較的に静穏な時期なので通常とられている施工方法で行った。
ケーソン製作場所については、宮崎崎港内が望ましかったが、既存施設は使用出来る状態でなかった。また公共施設を先行投資的に整備し、製作ヤードとすることも考えられたが、費用と期間がかかる上に、港内と港口(大淀川河口)の水深が浅い等の問題があった。このため、周辺の細島港、内海港、油津港を対象に施工場所について検討した結果、回航距離が70kmとなるものの、他港では適地が確保できないことから、細島港にて、フローティングドックを使用して製作することとした。細島港にはマウンド(9画分)を設け、昭和57年12月よりケーソン製作を開始した。
据付ケーソンは、細島港から宮崎港まで13時間をかけて回航される。回航されたケーソンは、宮崎港では時化(しけ)ても避難する場所がないため、据付るしかなく、また、据付ると蓋コンクリートまで一気に施工しておく必要がある。このため、回航から蓋コンクリートの打設までの一連作業に3日間を要するため、波浪予測を行い、夏期は波高0.7m以下(基本的には0.5mであるが、ほとんどないため)、冬期は0.5m以下の静穏な日が3日間連続する日を選び施工した。
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←アスファルトマット 敷設(拡大写真) |
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←ケーソン製作・日向市細島港 (拡大写真) |
(拡大写真) 高波高におけるケーソン 据え付け→ |
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(拡大写真) 上部コンクリート 打設→ |
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B消波ブロック被覆堤
本構造タイプの工区は防波堤基部より1,150mの位置から始まるもので、昭和61年度着工したものである。当時、県からの要請もあって、宮崎港の暫定開港時期を昭和62年度前半に設定したため、61年度末には砂州を開削することとなり、それまでに防波堤を少なくとも1,400m以上施工しておく必要があった。
このようなことから、前年度ケーソン据付は12凾/年のペースであったが、昭和61年度においては一気に221凾を据付けた。この結果、防波堤延長は1,590mにまで達した。この際、従来は基礎捨石の下に合成繊維の帆布(ほぬの)を敷設(ふせつ)していたが、この帆布敷設は、特に海上が静穏で、水中の透明度が良いことが必要であり、施工期間を左右することになるため、これを割愛(かつあい)することとした。(取り止めケーソンは昭和62年度以降を含め33凾)
また、ケーソン据付画数が多いため、特に丁場(ちょうば)を増して施工することとした。このため、ケーソン据付もはめ込み方式を取らざるを得なくなり、この施工にも多くの困難が伴った。昭和62年度以降のケーソン据付からは、冬場のみの施工に切替えた。消波工の施工にあたっては、ケーソン据付と同一年度に施工することが工期の関係上困難なため,ケーソン据付後の次年度以降に、後追い施工を行っている。
また、消波工は、施工を開始した昭和62年度一63年度は、完成断面で施工したが、台風等により沈下が生じるため、平成元年度からは、暫定断面(ざんていだんめん)で施工し、台風を2シーズン経た後ち完成仕上げする方法を取っている。
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→消波ブロック製作 (拡大写真) |
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消波ブロック据え付け→ (拡大写真) |
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←防波堤(南) 平成2年9月 台風19号襲来の様子 (拡大写真) |
本防波堤は、昭和58年度から60年度にかけて建設された延長521mの防波堤である。
もともと昭和48年3月の港湾計画では、北東からの波浪、北側からの海岸漂砂(ひょうさ)に対しては4号埠頭用地及びその先端の160mの北防波堤が計画されていたが、当時宮崎港の整備順序として2、3号地の整備を優先し、4号地の岸壁、埠頭(ふとう)の建設が遅れる見込みとなったことから本防波堤が建設されたものである。
建設にあたっては、当初4号地の岸壁法線(ほうせん)に合わせ、将来岸壁に改良できる構造をとる方向で計画されたが、土質調査の結果、岸壁法線箇所(かしょ)の深層部に粘性土(ねんせいど)が存在するため、地盤改良を必要とし、建設費が割高となるとともに施工工程上にも難があることが明らかになった。このため、計画を見直し、防波堤法線は岸壁法線部については50m控えることとしたものである。構造については、防砂機能(ぼうさきのう)を確保するものの、永久構造物にならないことから建設コストをできるだけ抑える方針とし、汀線部から砕波帯(さいはたい)での施工であり、海底砂の移動が激しいことから、水中部の均し作業を要せず、砂の透過を防止するとともに捲き出し工法で施工可能となる、石カゴとブロックによる傾斜堤構造を481mにわたって採用した。先端部40mは堤頭部としてケーソン式混成堤(こんせいてい)を採用した。また、洗掘防止として全延長にわたり石籠(かご)を敷設した。構造断面は、特に経済性に配慮した結果、延長521mに対して10断面にものぼった。(代表的な標準断面を次図に示す。)
また、建設時期についても、周辺の海岸線への影響等を十分に考慮した。この結果、本防波堤は、防波堤(南)が海岸線に直角に直進する800mの区間を整備した段階で施工することとされた。
施工については次のとおりである。
傾斜堤の区間は全て陸上より捲出し工法で施工した。石カゴ、捨ブロック、被覆ブロック、消波ブロックの据付けはクロラークレーン(150t吊)の作業半径を1工程とし約20m毎に施工したもので、天端均しコンクリート及び上部コンクリートはコンクリートポンプにて打設した。
施工に当っては、本防波堤の着工時には防波堤(南)の傾斜堤は完成しており、このノウハウが蓄積されているというものの、本防波堤の傾斜堤は本体が石カゴを積重ねて正方形の捨ブロックで周囲を覆うという他に例を見ない構造であったため、施工して行く上で次のような問題にも直面した。
当初捨ブロックは形成断面に対し、空隙率30%と想定し据付個数を管理していたが、1年目の施工結果、特に斜面部では6〜38%と断面毎に極端なバラツキが生じ、石カゴの被覆性の確保と捨ブロック施工後、さらに消波ブロックを施工する際の消波ブロックの断面形成に苦慮することとなった。しかし2年目にはこの経験を生かし、捨ブロックの形状を長方形に変更することで施工性や安定性の改善を図ったものである。
本防波堤は、防波堤(南)が屈曲部(延長800m)まで概成した段階の昭和61年3月に着工し、わずか2年後の昭和61年3月には完成したが、この間に台風による被害にも遭遇(そうぐう)した。1年目は年間を通じて施工し、2年目は台風期を除いた期間で施工したが、着工1年目の延長221mが概成した段階で、施工時の先端部に当る屈曲部延長71mが昭和59年7月の台風7号、8月の台風10号の相次ぐ襲来により堤体下の砂地盤が局所的に洗掘を受け、石カゴ、消波ブロック、天端ブロックの沈下が発生した。応急対策を施こしたものの、さらに10月に低気圧による波浪が14日間も続き、長期にわたる高波浪のため、堤体はさらに大きく沈下し、台風7号以降の沈下量として大きい所で2.4mにも達する被災(ひさい)があった。この復旧(ふっきゅう)については、天端均しコンクリートを打たし或いは、捨ブロック及び消波ブロックを補充したものである。しかし、その後は順調に施工された。
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←石カゴ据え付け (拡大写真) |
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←捨ブロック(正方形) 据え付け(拡大写真) |
捨ブロック(長方形) 据え付け→ (拡大写真) |
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完成の様子→ (拡大写真) |
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本防波堤は昭和63年11月の港湾計画改訂により新たに計画されたもので、出入港船舶の安全及び泊地の静穏度(せいおんど)を向上させるため配置されたものである。
その構造は、出入港船舶や隣接(りんせつ)して整備されるマリーナ施設に対する反射波防止等を考慮(こうりょ)し、消波プロック被覆堤(ひふくてい)とした。
吸出し防止及び洗掘防止対策は防波堤(南)同様である。
施工については、港内の静穏度を出来るだけ早く向上させるため、防波堤堤頭部より基部側に向け施工してきたものである。
施工方法については、防波堤(南)の消波ブロック被覆堤と同様である。
なお、基部より延長36mの間においては、実証試験として新構造形成の半円形防波堤(3画)が据付られることとなった。
半円形防波堤実証試験は、平成3年度から6年度にかけて行われるもので3年度基本設計、平成4年度製作及び据付を行い、その後、平成6年度まで現地観測及び解析(かいせき)を行う計画であり、実海域における耐波安定性(たいはあんていせい)、部材の安全性等を検証して、設計法並びに施工法を確立し、実用化を図るものである。堤体の製作は未供用の岸壁(−9m)の背後で行い、これを起重機船(きじゅうきせん)で吊り上げ防波堤(内)に据付たものである。
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←半円形堤体組み立て (拡大写真) |
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半円形堤体完成→ (拡大写真) |
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←半円形堤体据え付け (拡大写真) |