三納の文化財
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校区内の文化財を紹介します。詳しくは、西都市の文化財(西都市教育委員会社会教育課)クリックをご覧ください。
史跡 ・・・ 1 県指定三納古墳群 2 三納城跡
有形文化財 ・・・ 1 長谷観音像 2 長谷六地蔵塔
民俗文化財 ・・・ 1 平郡十五夜踊 2 三納吉田盆踊

長谷観音像について「さいと学」で調べました。
 わたしは、長谷観音の見学で、観音様についてくわしく知りました。長谷寺を作った人は、行基上人というえらいお坊さんだそうです。
 わたしは、長谷寺を作った人はもっとむずかしい名前だと思っていました。また、長谷観音寺ができたのは、717年だということも分かりました。約1300年も昔のことなので、すごくびっくりしました。
 私たちは、去年の六月の長谷観音見学で、観音様を近くで見ることができました。近くで見ると、やさしそうなほほえみをうかべていて、なんだか本当にパワーがもらえるような気がしました。
 また、本堂のうらの倉庫には、観音様の胴体や手があるというので、見せてもらいました。すごく大きくて、はくりょくがあって、どきどきしました。
 三納地区には、長谷観音があります。大みそかには五百人以上の人が来ます。
 そんな長谷観音の他に、西都市には、西都原古墳群があります。その長谷観音や西都原古墳群は、わたしが住んでいる西都のじまんです。だから、これからも、長谷観音や西都原古墳群を守り続けたいです。
 長谷寺は、何度か火事にまきこまれています。これからは、火事にまきこまれないようにしてほしいです。また、西都原古墳群が台風などの自然災害にあわないことを願っています。
 わたしの将来の夢はまだよく分かりませんが、お寺や神社、古墳などのすごさや大切さを小さい子どもたちに教えられるような大人になりたいです。そして、そのような西都市の宝ものを、ずっと守り続けるようにします。 
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長谷観音に向けて出発 長谷寺の説明を聞く子ども達
長谷観音の頭部 大きな手です
三納城跡
 自然の山丘を活用した上下二段から成る平山城である三納城は、都於郡伊東家48城の1城であるが、築城者、年代などは不明である。
 永禄(1558-1569年)の頃から、飯田肥前守祐恵(伊東氏門川13族の内)が城主となり、長谷観音の復興にも当たったが、天正5年伊東氏没落に際し、孤忠を守りここに戦死す。 同年、伊東氏豊後落ちの後、都於郡奪回を図った残党が策成らずして三納城に籠城し、兵糧もわずか敵に策ありと知りつつ城を出て六野原の大激戦となり、翌年11月18日までに武将や三十余名の兵士全員討ち死にさせ死守した。 
 難攻不落を誇った三納城は、今も中世城郭として残されている。
平成3年に西都市教育委員会が設置した「三納城跡」の説明板より 
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