長谷観音寺見学の様子

 三納小学校4年生が、さいと学の一環として、長谷観音寺に奉られている長谷観音像の見学に行きました。住職の甲斐さんに、長谷観音寺が建てられた時代や、観音像にまつわるエピソード等、貴重な話しをしていただきました。
【長谷観音寺への坂道を登る児童】










 
 6月15日(水)に、長谷観音寺見学に行きました。場所は、三納小学校から、車で10分ほど西へ行った場所にあります。
 長谷地区から、山道を登り、しばらくすると、長谷寺へ続く坂道があります。
 この日は、西都市教育委員会のマイクロバスを予約して、見学に行きました。
【住職の甲斐さんと児童】
 








 
 717年、高僧徳道上人が、この地の自然風致や遠方のすばらしさから長谷観音寺を建立しました。僧たちの修行の場としての目的もありました。

 718年には、@木造十一面観音立像A木造聖観音立像B木造勢至菩薩立像の三体が建立されました。
 
【奉られている三体の頭部】









 
 長谷観音寺の堂内には、三体の頭部が祭られています。三尊像の全長は、
●木造十一面観音立像(中央)
→6m67p
●木造聖観音立像(脇侍)
→4m39p
●木造勢至菩薩立像(脇侍)
→4m39p
だったそうです。
 

奉られている観音像の様子
 
【木造十一面観音立像頭部】
 


















 
 木造十一面観音立像の頭部には、小さな11個の顔があります。これは、人間の喜怒哀楽等の感情を表しているそうです。
 また、口元に開いている穴は、ミツバチが巣作りしたものです。そのミツバチの羽の音が、人の声に聞こえ、当時火事で行方不明になっていた頭部を発見するきっかけとなりました。
 
注釈:1522年の大火で長谷寺は全焼した。その時、三尊像の頭部だけは焼失を免れたのであるが、なかなか見つからなかった。
 とことがある日、里人が堂の下の権現谷を通ると、
「人声をたよりに進めば何かが得られますよ」というかすかな声が聞こえ、進んでみると不明であった本尊像の頭部が無傷のまま残っていた。その時のかすかな声が、頭部に巣作りをしたミツバチが巣に出入りするときの羽音だった。         
【境内奥に保管されている手の部分】










 
 長谷寺の奥の部屋に、三尊像頭部以外の体の部分が保管されていました。
 写真は手の部分です。大きな胴体の一部もありました。

注釈:1522年の大火後、頭部が発見されたあとは、当時の都於郡城主伊東尹祐(ただすけ)が長谷寺の復興に着手した。