当時の耳川の様子

耳川は昔、狭く深かったそうです。水もきれいで深くても底が見えるほどだったそうです。
そのため、
船をこぐことができ、たくさんの船が行き来できたそうです。
それで、
昔の耳川は道路の代わりに使われていて、いろいろなものが船で運ばれていたそうです。
遠くは椎葉村からも、船を使って木材等を美々津まで運んでいたそうです。
福瀬の炭もこの耳川の船を使って運んでいたそうです。
又、牧水さんも


「あたたかき 冬の朝かな うすいたの 
          細長き船に 耳川下る」


といううたをうたったように、人々の交通手段としても大切なもでした。
つまり、
耳川は昔の福瀬の人々ばかりでなく、耳川流域の人々にとってはなくてはならないものだったようです。

【福瀬から見た耳川】
今の耳川は、ダムや堤防ができて川の広さが変わり、幅が広くなりました
そのため、昔よりずいぶん浅くなったということです。
昔は、きれいで深くてもそこが見えるということでしたが、今でも、昔ほどではないですがきれいな川です。
耳川には、鮎や鯉などいろいろな魚がすんでいます。福瀬小と東郷小では、毎年交代で耳川に鮎や鯉の稚魚を放流しています。漁協の人の話では、毎年、たくさんの稚魚を放流していると聞きました。
昔、耳川は、交通手段、生活手段として欠かせないものだったということでした。今は、交通手段も船から、自動車に変わり、その役目はなくなりましたが、僕たちの飲み水になったり、プールの水になったり、魚釣りの場所になったりして、今でも僕たちにとってとっても大切な川です。

感想

【美々津へ向かう耳川】
ぼくは、昔の耳川について調べて昔は、とても水がきれいで生活になくてはならないものだったということを知りました。今の耳川は昔に比べて浅く水も少しにごっているけれど、鮎などがいたり、飲み水になっている川なので、
昔の人たちのように川を大切にし、きれいな耳川を残していきたいと思いました。
そして、僕たちに何かできることはないか、みんなで考えようと思いました。