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どんなことをした人なんだろう

写真 一等操縦士の免許 はじめに

  アメリカでライト兄弟が初めて空を飛んだのは明治36年(1903)です。それからおくれること7年、日本での初飛行は明治43年(1910)です。この頃、後藤勇吉は中学生でした。
 また、この年、アメリカのマース飛行士が東京で、曲芸飛行を公開しました。日本でも飛行機熱が高まり、都会では、模型飛行機つくりが盛んになりました。勇吉もこの影響で模型飛行機づくりに熱中し、飛行機への夢を広げていきました。

写真 大会に出場した愛機富士号 飛行大会優勝

 大正9年(1920)、東京で開催された飛行大会に出場し、高度飛行及び高等飛行で1位、速度飛行で2位となりました。優勝候補を押さえて2つの競技で優勝したため、後藤勇吉の名を高めることとなりました。


旅客飛行

 大正11年(1922)3月、岐阜県各務原(かがみはら)〜東京代々木間の、わが国初の旅客飛行に成功しました。乗客は新聞記者の2名で、合計飛行時間2時間半、距離250マイルでした。


宮崎で航空ショー

 大正12年(1923)、第2回の郷土訪問飛行で、宮崎市の一ツ葉浜で航空ショーを開き、5万人の観衆が集まりました。この時は一緒に組んだ日野氏が縄ばしごに吊り下がったり主翼上に立ったりの演技飛行をしました。

写真 翼の上にたつ

日本一周飛行
写真 日本一周のコース地図
 大正13年(1924)7月、9日間をかけて、わが国初の日本一周に成功しました。
 途中天候不良、霧の発生など幾多の困難もありましたが、総飛行距離4、395km、飛行時間33時間34分、平均速度130kmで日本一周を成し遂げました。
 コースは大阪→鹿児島→福岡→金沢→秋田→室蘭→湊→霞ヶ浦→江尻→四日市→大阪でした。




日向かぼちゃが有名に

 『昭和2年(1927)5月、宮崎県と宮崎市は生鮮農産物の販路(はんろ)の拡大を図るため、大阪中之島中央公会堂に阪神地方の関係者を招待し、郷土産品を使った料理の大試食会を催(もよお)すことにしました。その宣伝効果をねらって野菜の空輸が発案され、当時民間パイロットとして名の知れていた勇吉への期待が高まりました。
 勇吉は郷土発展に役立てばと思い、喜んで引き受けました。かぼちゃなどの産品を積んだ勇吉の飛行機は一ツ葉をたち大阪に期待通り無事着水しました。新鮮材料で作った料理は好評で、以来「日向かぼちゃ」の人気が一段と高まったということです。』

(『宮崎の百一人』宮崎県より) 

 

りゃくねんぷ

明治29年(1896)    延岡市に生まれる。
明治36年(1903)

7歳

 延岡尋常高等小学校尋常科に入学する。
大正 3年(1914) 18歳  県立延岡中学校(現、延岡高校)を卒業する。
大正 5年(1916) 20歳  門川町尾末海岸で独力の飛行練習を行う。
大正 9年(1920) 24歳  飛行競技大会で高度飛行1位、高等飛行1位、速度飛行2位の成績を収める。
大正 10年(1921) 25歳  わが国第1号の一等操縦士と一等飛行士の免許を取得する。
大正 11年(1922) 26歳  わが国初の旅客飛行に成功する。
大正13年(1924) 28歳  わが国初の日本一周飛行にも成功する。
昭和元年(1926) 30歳  大阪から京城、大蓮、両航空路を開拓しわが国で初めて、海外郵便輸送に成功する。
昭和2年(1927) 31歳  わが国で初めて、生鮮農産物(「日向かぼちゃ」)を空輸する。
昭和3年(1928) 32歳  太平洋横断飛行の訓練中に、佐賀県上空で事故により死亡する。

 


 
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