みやざきひむか学
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どんな人だったんだろう

にとべいなぞう博士の話に感銘を受けて

 高等小学校に在学しているとき、当時の若者たちの驚きとあこがれの的だった新渡戸稲造博士の講演会が行われました。宮崎中学校での講演内容を友だちから聞くと、矢も盾もたまらず、次の日の宮崎農学校での講演会に駆けつけました。
 講演の内容は、「日本人は肉食をしないから、体格が小さい。しかし、日本人には肉食の習慣がない。ところが、日本には、豆腐という素晴らしいたんぱく資源がある。そこで、おいしい豆腐を作って、日本人にたくさん食べさせることが必要であると考えて、学者になろうか、豆腐屋になろうか、毎日、考え込んだ。」というものでした。
 この話は、章太郎にとって驚きであり、深い感銘を受けました。小さい頃から故郷に愛着と関心を持って育ち、郷里と結びつけるきずながいろいろとあった章太郎にとって、我が意を得たりというものでした。後に、「中央で働くのに適した人は中央で、地方で働く方がいい人は地方に帰るのがいいのではないか。中央で働く人は多いのだから、私まで中央に行く必要はあるまい。」というような考え方に立つようになった始まりは、この新渡戸博士の豆腐の話にあったということです。

大地に絵をかく


 『今まで私がしてきたことはすべて、宮崎の大地をカンバスにしてかき続けて来た一枚の絵だったのである。
 絵だから、一本の木にも、一つの色にも、非常に細かい心づかいをしてきたのである。
 宮崎の美しい自然を少しでもより美しくするように、もし私のまずい絵で、宮崎の美しい自然が汚されたら、それこそ県民に対して全く申しわけないことになると考えて、私の力の限りの心づかいをしてきたつもりなのである。
 大地にかく私の絵はまだ完成していない。私は今後も生きる限り、かき続け、かき足していきたいと思うのである。
 この大地に絵をかくということばこそ、私の晩年のただ一つの生きがいといってもいいのである。』

(『無尽灯』岩切章太郎著 鉱脈社より)



宮崎を愛したしょうたろう

 『元宮崎県知事であった有吉忠一・神奈川県知事に、「卒業したらどうするのか」と尋ねられ、「宮崎に帰ろうと思います」と言ったものだから有吉さんはびっくりされて、なに、宮崎に帰ったってつまらんじゃないか、しかし、いったい宮崎に帰って何をするつもりか、ときかれるので、”民間知事”をやるつもりです、と言ってしまった。この民間知事ということばは相手が知事さんだったので、つい私の口からすべり出したもので、この時初めて使った言葉であるが、有吉知事の重ねての質問に対してこういう説明をした。知事さんの仕事を見ていると、知事さんには任期があるので坪刈りをしておられるような気がする。もし、ここに一人の男がいて、いつも地方の畑をりっぱに耕しておく。そしていつ知事さんが種をまかれてもいいようにしておく。まかれた種は大事に育てる。悪い苗は黙ってとって捨てる。こういうことをする男がいたら知事さん、便利だとは思いませんか。私はいなかにかえってそんな仕事がしてみたいのです。
 私のこの説明を聞いて有吉さんは笑い出して、君の考えそうなことだ、しっかりやってみるんだネ、といわれた。もし、この時有吉さんがばかな考えはよせといわれたら、私の民間知事も立ち消えになっていたかもしれない。』

*坪刈り:下刈りの一種。植裁木の周囲のみを刈ること。(大辞林 国語辞典)

(
『無尽灯』岩切章太郎著 鉱脈社より)

みやざきのよさ・すばらしさを世界の人に

自然の美  美しい自然、清潔な環境の保全に心がけ、宮崎の美しい空、おいしい空気、きれいな水、草花、緑の山々などを大切に守り育てながら、宮崎の自然環境の素晴らしさの創出に努めた。
人口の美  宮崎の自然のなかに美しさを見つけ、その美しさをすべての人 に気づいてもらうように手を加え、植え足し、切り出しの手法で観光地の整備・創出に努めた。
人情の美  サービスこそ最も大きな観光資源とし、観光客に、宮崎にまた来たいと思っていただくことに心を砕(くだ)いた。



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