
景観保護の考えが広がる以前から宮崎・日南海岸の沿岸修復に努めて自然を生かした観光開発を進め、1960年代から70年代にかけて宮崎に爆発的な新婚旅行ブームを起こした人物がいました。岩切章太郎です。
昭和47年(1972)の新婚カップルは100万組に達し、そのうちの約4分の1が新婚旅行に宮崎を選んだと言われています。その人数は実に57万人、当時の宮崎県全体の人口の半分以上に相当していました。

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宮崎交通株式会社において、宮崎の観光資源開発に尽力。
こどものくに、堀切峠、サボテン公園、えびの高原、都井岬など。 |
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航空大学校、宮崎空港、宮崎ゴルフ場、宮崎観光ホテル、宮崎放送などの設立に活躍。 |
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宮崎の経済・観光・自然保護のリーダーとして活躍。 |

明治26年(1893) |
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宮崎市に生まれる。 |
大正6年(1917) |
24歳 |
東京帝国大学法学部政治学科に入学する。 |
大正7年(1918) |
25歳 |
「民間知事」になることを決意する。 |
大正9年(1920) |
27歳 |
3年間の約束で住友総本店に入社する。 |
大正13年(1924) |
31歳 |
宮崎に帰る。 |
大正15年(1926) |
33歳 |
宮崎市街自動車株式会社を創設し社長に就任する。 |
<昭和17年(1942)、宮崎交通株式会社に社名変更。> |
昭和6年(1931) |
38歳 |
定期遊覧バスの運行を開始する。 |
昭和14年(1939) |
46歳 |
シャンシャン馬を世に出す、こどものくにを開園する。 |
昭和25年(1950) |
57歳 |
定期観光バスを復活。観光バス新車14台を連ねて、「東海道五十三次・声の旅」観光宣伝隊が東京〜宮崎まで宣伝行脚(あんぎゃ)する。 |
昭和30年(1955) |
62歳 |
日南海岸が国定公園に指定。夏の風物詩、納涼バスを開始する。 |
昭和60年(1985) |
92歳 |
92歳で亡くなる。 |
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