ホーム
ふるさとみやざきを愛した人々
村社講平
どんなことをした人なんだろう
昭和11年(1936)、第11回オリンピック大会は、ドイツのベルリンで開催されました。 このオリンピックでは、クーベルタン男爵(だんしゃく)が「オリンピックで重要なことは勝つことではなく参加することである。人生で重要なことは勝利ではなく努力することである。勝ち取ったという結果ではなく、よく戦ったということが大切なのだ。この考え方を広げていけば、もっと強く勇敢(ゆうかん)な、そして何よりもより節操(せっそう)のある度量の大きな人間が育ってゆくだろう。」という有名な挨拶(あいさつ)をしています。
昭和9年(1934)、30歳のとき開催された第21回全日本選手権大会の1万m・5千mで優勝しました。
その後も1万mで6回連続、5千mで5回連続優勝したのです。
昭和11年(1936)、ベルリンオリンピック1万m、5千m競技において、いずれも4位入賞。身長160cm・体重50kgの身体ながら、2m近くのヨーロッパ選手と競い合い、25周中24周までトップを走り続けた姿は、当時の世界中の人々を驚かせ、『村社の健闘は勝利にもまさる』と賞賛されました。
引退後は、オリンピックの強化コーチを務めたり、指導や講演で全国をまわったりしてたくさんの選手を育成しました。
明治38年(1905)
宮崎市で生まれる。
大正9年(1920)
15歳
宮崎中学校ロードレースで優勝する。
大正12年(1923)
18歳
第1回県中等学校大会1500mで優勝する。
大正14年(1925)
20歳
明治神宮大会1万mで3位に入賞する。
昭和7年(1932)
27歳
中央大学に入学する。
昭和9年(1934)
30歳
全日本選手権1万m・5千mで優勝する。
昭和10年(1935)
30歳
初の国外遠征に行く。
昭和11年(1936)
31歳
ベルリンオリンピック5千m・1万mでいず
れも4位に入賞する。
昭和20年(1945)
41歳
毎日新聞社に陸上記者として入社する。
平成10年(1998)
92歳
92歳で亡くなる。
つぎへ
どんな人だったんだろう
もっとくわしく知りたい人は
前へ
ホーム