
ツルは職員室でイスに座っていることはめったになく、よく子どもたちと一緒でした。授業でもいつも、工夫をし、当時は講義が中心であった授業の中に、図書室や炊事場を使っての実習を取り入れるなどしました。
内容は「しみ抜き」などのように実際の家庭生活の役に立つものでした。
今でこそ、実習は当たり前のこととして行われていますが、この時代には注目に値(あたい)するものでした。
 
古城小学校の校長になった時、ツルはまだ25歳でした。校長としての最初のあいさつは「為せば成る。為さねば成らぬ、何事も」というもので、これは自分自身の決意の言葉でもあったようです。
当時の古城小学校は、児童数120人、教師4人の学校で、校長も授業を受け持っていました。地区では「美人の校長先生がやってくる」という話題で大騒ぎになったそうです。積極的で非常に熱心なツルの姿は、児童だけでなく住民にも敬服されました。地区の人々は、運動会や学芸会などの準備のための奉仕作業をはじめ、古くなっていた校長住宅を立派な瓦ぶきのものに作り変えるなど、学校への協力を惜しみませんでした。
農業補習学校の校長も兼任していたツルは、昼は小学校の授業と絶え間ない授業参観、そして夜は青年団への社会教育、と休む間もありません。このときのツルをよく助けたのが同じ女性で首席訓導の渡瀬ミズでした。
ツルの教育に対するひたむきな情熱は、地区の人々や同僚(どうりょう)の惜しみない協力をひきだしていきました。
 
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