
大淀川に橋をかけることが宮崎の近代化につながると信じ、大淀川の調査をしたり、役所に頼んだり、ひたすらかけまわり、ついには自分のお金を使い、橋をかけた人なのです。
大淀川に橋をかけるのは無理だと思いこんでいたまわりの人たちの中には笑う人もいました。しかし、そんな中にあっても橋をかける仕事をあきらめなかったのです。それは、宮崎の発展を願う気持ちが人一倍強かったからなのです。
ところが、邦成のかけた橘橋は、完成からわずか4ヶ月で、大淀川の大洪水のために流されてしまうのです!
しかし邦成は、それにくじけずにすぐに橋をかけたのです。
邦成は、失敗に負けない、強い人だったのです。 |