みやざきひむか学
ホームふるさとみやざきを愛した人々後藤勇吉(小学生向き)どんな人だったんだろう
どんな人だったんだろう

大空への夢

写真 少年時代のゆうきち  勇吉は、延岡(のべおか)市で生まれました。
 小学生のときには空を舞台(ぶたい)にした神話やおとぎ話に興味をもち、中学生になると、機械(きかい)に興味(きょうみ)をもち始めました。
 少年時代から飛行機に関心をもち大空への夢(ゆめ)を描(えが)いていたのでした。

写真 模型ヒコーキづくりに夢中だったころのゆうきち


機械大好き(中学2年のときのエピソード)

 2階(かい)の部屋でおそくまであかりがついているので、母親が行ってみると、勇吉が広い紙を広げ三角定規やコンパスで製図(せいず)をしています。
 びっくりした母親が、
「何ですかそれは、そのようなことはよして、勉強するなら書物を読みなさい。」 と注意すると、勇吉は、将来のことを考える力もあったんだな
「これは、重要な機械の設計図です。これからは機械の世の中になるのです。」とはっきり言ったそうです。
 このあと、ブリキ製でしたが、蒸気機関付きの精米機を作り上げ、家族や周囲の人たちを感心させたそうです。

 

決してあきらめないゆうきち

写真 少年時代のゆうきち2
 勇吉は、空を飛びたいという夢(ゆめ)を実現(じつげん)するために、あきらめることなくいろいろなことに挑戦(ちょうせん)しました。

 高いお金で飛行機(ひこうき)を借(か)りて、飛ぶ練習を始めましたが、なかなか飛びませんでした。
 しかし、いろいろと工夫をして、ついに「空中
         の人」となったのです。

こうやって飛べました

苦労して飛行機(水上機)を借りる。
  下矢印
門川(かどがわ)町の海岸で飛ぶ練習を始める。
  下矢印
半月たっても飛ぶことができずに悩(なや)む。
  下矢印
フロートに原因(げんいん)があると考え、フロートを取り替(か)えるが飛ばず。
  下矢印
十分に滑走(かっそう)して操縦桿(そうじゅうかん)を引き、ようやく飛び上がりまっすぐ飛ぶことができた。

写真 初めて飛んだとき 空とぶ夢を実現、このとき二十一歳 十八メートルまっすぐに飛んだのです

※フロート:水上飛行機の足部についている浮き舟

 夢(ゆめ)を決してあきらめず、つねに新しいことに挑戦しようとする勇吉だったのです。



 
どんなことをした人なんだろう
前へ
ホーム