みやざきひむか学
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写真 このふくようきにふたりの旅客を乗せて飛びました 日本で初めての旅客飛行

 大正11年(1922)、27歳のとき、一日目は岐阜県各務原(かがみはら)から天竜川、二日目は天竜川から東京代々木までの250マイル、所要時間2時間半の旅客飛行を行いました。複葉機(ふくようき)で平和博覧会を訪問しようというもので、新聞記者2人を乗せて飛びました。

※1マイル〜1609.344m 250マイル〜約402km


日本で初めての日本一周旅行

写真 三十三時間三十四分で日本一周をしました  昭和2年(1927)、32歳のとき、日本で作った飛行機がどのくらいじょうぶなのかを確(たし)かめるために日本一周に挑戦(ちょうせん)して、みごと9日間で成功(せいこう)することができました。
  平均速度は1時間に130kmの速さ、飛行距離は4395kmでした。

 


ひゅうがかぼちゃが有名に
ゆうきちは宮崎のことが好きだったんだな
 宮崎の野菜(やさい)をいろんなところで買ってもらうために、 飛行機(ひこうき)で野菜を運ぶことが考えられました。新鮮な宮崎の産物を使った料理を大阪の人々に食べてもらいたいという話が持ち上がりました。
 当時、名の知れていた勇吉への期待が高まったので、勇吉は郷土発展(きょうどはってん)に役立てばと思い喜(よろこ)んで引き受けました。かぼちゃなどの産品を積んだ飛行機は宮崎の一ツ葉(ひとつば)をたち大阪に無事到着しました。新鮮(しんせん)な宮崎のかぼちゃで作った料理はとても喜ばれ、以来(いらい)「日向かぼちゃ」の人気は一段(いちだん)と高まったのでした。


 
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