みやざきひむか学
ホームふるさとみやざきを愛した人々高木兼寛(小学生向き)どんな人だったんだろう
どんな人だったんだろう
医者になりたいかねひろ

 兼寛は嘉永2年(1849)9月15日、宮崎市高岡町穆佐(むかさ)に生まれました。小さいころから、勉強や剣道をとてもがんばる子どもでした。子どものころの名前は「藤四郎(とうしろう)」でした。12歳のころ、むかさの黒木了輔という医者にあこがれ、医者になりたいと思うようになりました。

イラスト たかぎかねひろ

鹿児島で勉強するかねひろ

 17歳で兼寛は、医者になる勉強をするために鹿児島(かごしま)に一人で行きました。夜も寝るひまもないくらいいっしょうけんめいがんばったそうです。そして、もっと進んだ医学の勉強をするために東京へ行きました。
探究心の強いかねひろ

 兼寛が「かっけ」の予防法に取り組んだ当時は、かっけの原因がはっきりしなかったため、予防法に反対する人もたくさんいました。それでも正しいことを信じ、探究心をもちつづけ、いろいろな工夫や説得を行い、決してあきらめませんでした。

イギリスで勉強しているかねひろ

 さらに遠く日本をはなれ、イギリスでもいっしょうけんめいに勉強しました。ある日、母と4歳のむすめさんが死んだという知らせが届きましたが、日本に帰りたいという悲しい気持ちをのりこえて、さらに勉強にをがんばりました。


 兼寛は、小さいころから大人になるまでいっしょうけんめい勉強して、人の命を助けることに一生をささげた人なんだね。 写真 たかぎかねひろ

 
 
どんなことをした人なんだろう
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