ホーム
ふるさとみやざきを愛した人々
高木兼寛(小学生向き)
どんなことをした人なんだろう
「かっけ」という恐(おそ)ろしい病気から人々を救(すく)うために兼寛はいっしょうけんめい研究しました。
当時「かっけ」は細菌(さいきん)による伝染病(でんせんびょう)と考えられていたのですが、兼寛は食事の栄養のかたよりから起こると考えました。
そこで食事を改善(かいぜん)する予防法に取り組んだところ、「かっけ」にかかる人がほとんどいなくなったのです。
これによって兼寛の予防法は認められ、それが後のビタミンの発見に大きく貢献(こうけん)したと言われています。
このため、兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれるようになり、南極大陸の有名なビタミン学者の名前が付けられている地に、「高木岬」という名前がつけられたのです。
南極大陸(なんきょくたいりく)にある「高木岬(みさき)」。 一帯には有名な世界のビタミン学者の地名がならんでいます。
兼寛は、東京にお医者さんを育てる学校をつくりました。また、まずしい人でもみてもらえる病院や、看護婦(かんごふ)を育てる学校もつくりました。
つぎへ
どんな人だったんだろう
前へ
ホーム