みやざきひむか学
ホームふるさとみやざきを愛した人々村社講平(小学生向き)どんな人だったんだろう
どんな人だったんだろう

小さいときからがんばっていました
 小学校の2年生になったころから、毎朝学校に行く前に往復7kmの材木置き場までお使いに行きました。
 また、日曜日には木材の買いつけのために40kmの山道を歩いたりしました。おかげで、ずいぶんと足がきたえられたようです。
 また、中学生になって「オリンピックの選手になりたい」と思うようになってからは、家から学校まで6kmの道のりを、毎日走って通い続けました。

■陸上競技を始めた理由
 中学生の時、ロードレースに出場していきなり優勝。そのとき先生に「がんばればオリンピック選手になれるぞ」といわれたのがきっかけで陸上をはじめました。


走ることが大好きだったのです

 村社さんが陸上競技に取り組むために大学へ進んだのは27歳の時でした。ふつうの人よりもずいぶんおそい進学です。何度も壁(かべ)にぶち当たり「自分はだめだ」と思った時期もあったのです。だけど、走ることが大好きでした。

 雨あがりのグランド。
    そこで練習すると、まっさらな土の上に
     自分の足あとだけがきざまれていきます。
      「自分の足あとがまっすぐな線になっていく…」
              村社選手はそれがだいすきでした。

写真 宮崎国体であかえしょうの子どもたちと
写真 全日本選手権で初優勝

オリンピックのはしゃに天才なし
これは村社選手が好きだった言葉です。
赤江小学校の校庭にある石碑(せきひ)にも、この言葉が刻まれています。


 
どんなことをした人なんだろう
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