みやざきひむか学
ホームふるさとみやざきを愛した人々村社講平(小学生向き)どんなことをした人なんだろう
どんなことをした人なんだろう

写真 ベルリンオリンピック一万メートルの決勝レース。先頭を走っているのがむらこそ選手。長身の選手を後ろにして、先頭を積極的に引っ張る姿が感動的でした。

世界でのかつやく

 昭和11年(1936)のベルリンオリンピック(ドイツ)において、1万mと5千mの両方で4位入賞。
 身長が2mちかくのヨーロッパ選手と競い合い、つねにトップをめざして走り続けた姿は、世界中の人たちに感動をあたえました。

 

国内でのかつやく

 昭和9年(1934)、30歳のときに1万mと5千mで優勝し、日本一になります。その後も1万mで6回連続、5千mでも5回連続で優勝!

選手いくせい

 選手引退後も、スポーツ記者として働いたり、全国各地をまわって、若手ランナーの発掘やその育成に努力しました。

オリンピックでの名場面 ベルリンオリンピック

むらこと選手の身長は160センチメートル。うしろの選手たちは2メートル。見ている人はどう思ったかな。 昭和11年(1936)にドイツで開かれたベルリンオリンピック、1万mの決勝レース。会場の人々の目は、1人の日本人選手の走りにくぎづけとなりました。身長が160cmしかない、小さな日本人選手が、2m近くの大きなヨーロッパ選手をひきつれるようにして、けんめいにトップを走り続けていたからです。彼の名は村社講平。
 トップを走る村社選手を見た観客は、最初のうちは「どうせとちゅうでバテるはずだ…」と思っていました。しかし、フィンランドの3選手とトップ集団を形成して、抜かれてもすぐに抜き返し、いつまでたっても村社選手はトップでかけぬけます。そのうち会場は、村社選手のおうえんでいっぱいになりました。「ムラコソ、ムラコソ!」の声援の中、けんめいにがんばる村社選手…。ラストの1周で力つきてしまい、結果は4位でメダルはのがしてしまいました。しかしその走りは、日本はもちろん世界中の人々を感動させ、「ムラコソの走りは勝利にもまさる」と絶賛(ぜっさん)されたのです。


 
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