みやざきひむか学
ホームふるさとみやざきを愛した人々小村寿太郎(小学生向き)どんな人だったんだろう
どんな人だったんだろう

おばあさんの教え

 大家族のため、生活に追われていた両親の代わりに、おばあさんが寿太郎の世話をしていました。寿太郎はおばあさんの話す義経(よしつね)や弁慶(べんけい)の話などを聞くのが何よりも楽しみでした。

いろいろな友だちとのふれあい 写真 しんとくどう

 寿太郎は、振徳堂(しんとくどう)では武士の少年たちと勉強していましたが、家に帰ってからの友だちはいずれも近所の町家の少年たちでした。
 また、農繁期(のうはんき)には、おじさんの家に手伝いに行きましたので、農村にも友だちができました。
 このように、寿太郎はいろいろな友だちとのふれあいをとおして、多くのことを学んでいきました。

しんとくどうでの様子

 寿太郎は、だれよりも早く登校し、学費の不足を補うため、一日の半分以上は、学校の内や外のそうじなどの仕事をしていました。
 それでも、時間を見つけては一生けんめい勉強して、先生や友だちにその実力がどんどん認められていきました。

おぐらしょへいとの出あい

 寿太郎の人生に大きな影響(えいきょう)を与えた人物が、小倉処平(おぐらしょへい)でした。振徳堂で、小倉からそのすぐれたな才能を認められていた寿太郎は、14歳で長崎へ留学(りゅうがく)することになりました。

留学生としてアメリカへ

 明治8年(1875)、大学で学んでいた寿太郎は、初めての文部省(もんぶしょう)の留学生として、アメリカのハーバード大学に入学しました。

諸君は正直であれ

 明治39年(1906)、寿太郎は久しぶりに宮崎に帰ってきました。そのとき、宮崎中学校で寿太郎の講演会(こうえんかい)があり、たくさんの中学生を前にした寿太郎は、「諸君は正直でありなさい。正直ということは何より大切である。」と言って、講演を終わったそうです。

 
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