明治34年(1901)に、宮崎県の人として初の外務大臣になった小村寿太郎は、先進諸国を相手に、さまざまな国際会議で堂々と話し合い、日本の発展のためにつくしました。
明治37年(1904)に日本とロシアの間で戦争がはじまりました。戦争を続けるべきだという考え方も多い中で、アメリカのポーツマス市で戦争を終わらせるための話し合いにはいることになりました。 日本の代表が寿太郎、ロシアの代表がウイッテでした。寿太郎はねばり強く話し合いを続け、戦争を終わらせました。