みやざきひむか学
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どんな人だったんだろう

すぎやすいぜきと用水路づくり

 一ツ瀬(ひとつせ)川にはいつも豊かな水が流れています。久右衛門は川の水を何とかして穂北の土地に引いてりっぱな水田を作ろうと考えました。ある日、久右衛門は、西都原(さいとばる)の高台にのぼって土地のようすを調べました。次に、水の流れや水の深さを調べ、いぜきをつくるのにふさわしい場所を探しました。こうして、工夫に工夫を重ねて、数十日かかって用水路をつくる計画をつくりあげました。

村人への説得
イメージ1 村人への説得  毎日毎晩、一軒一軒回ってけんめいに村人にこの計画について説明しても、ゆめのような話だと言ってだれも相手にしてくれませんでした。そこで、宮崎の大商人日高六右衛門(ひだかろくうえもん)にお金をかりて工事を始めようとしました。すると、今度は、土地をつぶされると地主の反対にあいました。また、いぜきができると、大水のとき被害(ひがい)が大きくなるといって反対する人もいました。
 困った久右衛門は、宮崎町に住んでいる日高六右衛門をたずねて、工事に必要なお金を貸して欲しいと頼みました。
イメージ2  お金を手にした久右衛門は、人々の反対にあいながらも、1年半ののち、工事に取りかかりました。
 くらしにこまっていた人たちは、お金になる仕事によろこんでやってきました。用水路は日一日とのびていきました。
イメージ3  なかでも、はばが140mの一ツ瀬川に、せきをつくるのは、たいへんな仕事でした。流れる川の中に、木のくいを打ちこんで、竹かごをしずめ、集めた石をその中に入れて、少しずつ、せきを築(きず)いていきました。川は深く、流れも速いので、それは命がけの仕事でした。せっかく苦労して積(つ)み上げたせきを一晩のうちに大水におし流されてしまったことが何回もありました。
イメージ4  そのうち、かりたお金も使いはたしてしまった久右衛門は、自分の家や田畑までも売りはらって工事のお金にあてました。しかしそれでも足りませんでした。久右衛門は困りはてていました。
 そんなとき、大地主(おおじぬし)の黒木弥能右衛門(くろきやのううえもん)がお金を出してくれたのです。こうして、いぜきと用水路の工事は、およそ8年かかってようやくでき上がりました。
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あきらめない心

 反対にあっても失敗してもあきらめることなく、成功を信じて、努力をし続けた久右衛門。杉安いぜきと用水路をつくることが人々のくらしがよくなることだと信じ、自分のことはさておいて、人々の幸せのために力を尽くした久右衛門は、72歳で亡くなり、杉安には銅像が建てられています。


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