みやざきひむか学
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どんな人だったんだろう       

はんしゅになったようざんの決意うえすぎようざん像
   
     うけつぎて国のつかさのみとなれば、わするまじきはたみのふぼ

 鷹山が17歳で第9代米沢藩主となったときの決意を込めた歌です。藩主としての自分は、「父母の心になって、領民を一日も早く、精神的にも物質的・経済的にも豊かにして、その生活を安定させてやりたい。」という自覚が表れています。


けんやくの手本を示したようざん

 史上空前の大倹約令を発した鷹山は、自分の生活も倹約しました。まず、自分の生活費に目をつけました。藩主の生活費はこれまで年間1500両でしたが、それを約7分の1である209両に大幅減額しました。また日常の食事は「一汁一菜」とし、衣服は全部木綿(もめん)のものを着用しました。鷹山はこれを72才で亡くなるまで続けました。



くにとりょうみんを大切にする政治

  第10代藩主の鷹山は、11代藩主になる治広に対して、藩主の心得をさずけました。これを世に「伝国の辞」と呼んでいます。

       一、国家は 先祖より子孫へ伝え候 国家にして我私すべき物には これ無く候 二、人民は国家に属したる 人民にして我私すべき物には これ無く候 三、国家人民の為に立たる 君にて君の為に立たる 国家人民にはこれ無く候

日本を代表する日本人 うえすぎようざん

 明治27年11月、日清戦争の頃、宗教家である内村鑑三が、「日本を代表する日本人」として、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人、西郷隆盛の5人を選んで世界の国々に紹介し、欧米人の間に大変評判になったことがありました。
 また、ケネディがアメリカの大統領就任当時、日本人記者団との会見で「最も尊敬する日本人は、上杉鷹山である。」と答えました。これは、大統領が鷹山に対して強い印象を持っていたからだと思われます。
(以上「上杉鷹山公」渡部図南夫著より)


 
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