ホーム
宮崎人の夢と祈り
伝承・伝説に残る宮崎の建造物
鶴富屋敷
これは椎葉村にある那須家住宅で、鶴富屋敷と呼ばれている建物です。
建てられた時期は約300年ほど前(江戸時代の半ば頃)のことで、国指定の重要文化財になっています。
椎葉村の民家は、皆このようなつくりをしています。家の前面に縁(えん)を設け、それに各部屋を配置した横に長い形式になっているのが特徴です。
椎葉村は、けわしい九州山地の山間にある村です。そのため、平地が少なく傾斜を利用して家をつくるための知恵であったと思われます。また、神楽を舞うのに、都合良くつくられたものだともいわれます。
*縁(えん):ろうかのこと
鶴富家住宅の間取り
●那須住宅〜どうして人々は鶴富屋敷と呼んでいるのでしょうか。
〜 それはこの地に平家落人伝説が伝わっているからです。
今から約800年前、壇ノ浦(だんのうら)の戦いに敗れた平家の残党は九州の山奥へと逃げていきました。
源頼朝から平家追討(ついとう)の命令を受けたのは那須与一でしたが、病気になってしまったため、その弟那須大八郎(なすのだいはちろう)が代わって、平家の落人(おちうど)を追ってこの椎葉村までやってきます。
しかし、大八郎は、かっての栄華(えいが)もよそに、ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿を見て、哀れに思い追討を断念して、幕府には追討を果たしたと報告します。そして、大八郎はこの地に屋敷を構え、落人達と共に生活するようになり、やがて、平清盛の末裔(まつえい)である鶴富姫(つるとみひめ)と出会い、恋仲になります。大八郎は財宝を捨てこの村に永住することを決意しますが、幕府から「すぐに兵をまとめて帰れ」という命令が届きます。このとき、すでに鶴富姫は身ごもっていました。
しかし、仇敵(きゅうてき)平家の姫を連れて行くわけにもいかず、別れの印に名刀「天国丸」をあたえ、「生まれた子が男なら我が故郷下野の国へ、女の子ならこの地で育てよ」と言い残し椎葉村を後にするのです。
生まれたのはかわいい女の子。鶴富姫は大八郎の面影(おもかげ)を抱きながら、その子をいつくしみ育てたということです。
この大八郎と鶴富姫の住まいが、この家であったといわれています。
右の写真は、毎年11月に行われている平家祭りの写真です。
この祭りは、那須大八郎と鶴富姫をしのんで行われているものです。村の通りを、十二単(じゅうにひとえ)の平家方・鶴富姫と源氏方・那須大八郎がよろい姿の騎兵と一緒に練り歩きます。
那須家住宅(鶴富屋敷)のあるところは、平家落人伝説がある集落であり、現在も8世帯が大八郎ゆかりの姓である那須家を名乗っています。
那須大八郎がこの地に創建したという椎葉厳島神社の神楽をはじめとして、村内26ヶ所に神楽が伝承されており、人々の暮らしの中に伝承行事がとけ込んでいます。
■伝承・伝説が残る宮崎の建造物
■神門神社
■もっとくわしく知りたい人は