みやざきひむか学
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みかどじんじゃ
 
これは美郷町南郷区にある神門神社です。
写真 みかどじんじゃ   写真 横から見たみかどじんじゃ
    神社を横から見た写真
 この地に神社ができたのは718年(奈良時代)と伝えられていますが、現在の建物ができたのは、1661年(江戸時代の初め頃)です。国指定の重要文化財になっています。
 その特徴は、屋根の前面を長く伸ばして造られていることです。これを流れ造りといいます。また、神社本殿は長方形の床面の一辺が8本の床柱(とこばしら)ある七間柱になっています。七間社流れ造りといって、全国でも珍しい造りです。
 
みかどじんじゃにまつわる伝説
 

 この神社は養老2年(718年)に創建されたと伝えられており、百済王禎嘉王(ていかおう)がまつられています。
 この神門神社には、つぎのような伝説が残っています。

 

 西暦660年に、朝鮮半島の百済(くだら)は唐と新羅(しらぎ)に滅ぼされました。日本に逃れた百済の王族は、日向の国の2つの浜に流れ着きました。父王の禎嘉王(ていかおう)は日向市金が浜にたどり着いたあと、美郷町南郷区神門に着き、村人とともに安らかな日々を送っていましたが、百済王を追討してきた軍勢によって非業(ひごう)の最後を遂げました。また、長男の第一皇子は高鍋の浜にたどり着いたと伝えられ、木城町の比木神社にまつられています。
*非業の最期:思いがけない災難などで死ぬこと

 
しわす祭り
写真 しわす祭り2 美郷町南郷区では「百済王族の伝説」を素材にした村おこしが行われ、「百済の館」「西の正倉院」を建設するなど、「百済の里づくり」に村民あげて取り組んでいます。写真 しわす祭り1
 禎嘉王の王子がまつられている比木神社から出発し、禎嘉王がまつられている神門神社の間を3日かけて移動し巡回する伝統的なまつりとして「師走まつり」が毎年1月(旧暦の12月)に行われます。この祭りは、禎嘉王と別れ別れに高鍋の浜に漂着した第一皇子が年に一度再会するという伝説を再現したものです。
 いつ頃から行われているかははっきりわかりませんが、少なくとも100年以上も前から地域の人々によって守り伝えられていると言われています。
 90キロメートルも離れた二つの神社が合同で行う祭りで、しかもかつて徒歩で九泊十日もかけた祭りでしたが、昭和23年から二泊三日になったそうです。また、「百済伝説」にまつわるものと五穀豊穣(ごこくほうじょう)や安産、災難消除(さいなんしょうじょ)など祭事(さいじ)が複雑にからむ珍しい祭りといわれています。
 
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