|
||||
OA委員会のあゆみ
年度 |
完成システム |
内 容 |
1984 |
盲ろう養護学校部会で「就学奨励費の電算化」を研究テーマとする | |
1987 |
協会内に0Aプロジェクトチームを設置(S61.2) 各校の機器調査および要望をもとに事務処理システムの開発に着手 使用ソフトを検討(ベーシック、スウィング、ファラオ、桐) 「県立学校事務手引書」を椛謌齧@規より刊行(10月) |
|
1988 |
OA委員会版 生徒・文書 |
リレーショナルデータベース「ファラオ」でシステムを作成 希望校にシステム配布 第36回九州大会「RD利用による事務のOA化」を発表(宮崎市) 盲ろう養護学校部会で「就学奨励費の電算化」を正式決定(8月) |
1989 |
職員・勤務・報酬 | 財務会計オンラインシステム導入 |
1990 |
備品・就学奨励 | 第43回全国大会「学校の電脳的情報管理と処理」を発表(松山市) 機器整備については教育委員会の理解を得る |
1991 |
図書・私費・予算 | 就学奨励費システム義務化 盲ろう養護学校全校にパソコン整備 県外からの学校視察が増える |
1992 |
実習会計 | 使用ソフトを「ファラオ」から「桐」へ変更決定 「21世紀をめざす学校事務開発事業」開始(3ヶ年) |
1993 |
工事・旅費 | 「桐」版システムを全校に配布(普及の促進、研修体制の強化) 第46回全国大会「パソコンと闘った700日」を発表(奈良市) 要望集約、バグ修正等を行うためOA機器等実態調査を開始する(毎年) 全国からシステム譲渡の要望が相次ぐ |
1994 |
給与差引 | 「OAマニュアル集」を椛謌齧@規出版より刊行(11月) 葛繽BJBAにシステムを譲渡、School-Proとして開発販売 実習会計システム義務化、備品帳票を公簿として承認してもらう 文書のA4版化が始まる |
1995 |
様式集 Dos版School-Pro 就学奨励費 |
第44回九州大会「21世紀をめざす学校事務と情報管理」を発表(佐賀市) 勤務システム義務化 小中学校との人事交流始まる(OA委員の転出) |
1996 |
授業料督促 勤務・私費・図書 |
校内LAN構築(宮崎西、宮崎商業、延岡商業、五ヶ瀬、佐土原、都農) 葛繽BJBA、図書システムのみVBで開発、全国販売へ 夏季学校別OA研修始まる まなびSUNNETみやざき(パソコン通信)に学校事務のCUGコーナー設置 |
1997 |
生徒・文書・職員・授業料・備品 | 全国で就学奨励費システムSchool-Proの導入県増える(8県) Windowsマシンが増え、システムのWindows化が課題となる 事務室LAN設置校増える(全県立学校の3割程度) |
1998 |
Windows版School-Pro 生徒・文書・勤務・会計・授業料 |
県物品管理システムを導入(オンライン化) 県教委事務局との交流が増える(OA委員の転出) School-ProのWindows版「桐Ver7」に決定(8月) システム設計図書の作成にとりかかる パソコン通信をOA委員会の連絡に使用 |
1999 |
給与・報酬・工事・備品・職員 | 協会の組織機構改革で各専門委員会人数を10名程度に限定する Windows版School-Proの動作確認をOA委員会で協力する 第52回全国大会「授業料徴収事務の改善に向けて」(高知市)発表協力 夏季学校別OA研修を地区別に変更し実施する(4地区) インターネットアクセス整備事業始まる(3ヵ年計画) |
2000 (H12) |
実習会計・就学奨励費 | 教育用プロバイダ「教育ネットひむか」2月に開設(宮崎県教育研修センター) ホームページ作成、手引書デジタル化、ネットワーク化、システム開発の4班で活動する インターネット、校内LANの普及にともない情報教育機器整備担当者会を開く(6月) 「宮崎情報ハイウェイ21構想」発表(県内全域を高速、大容量の光ファイバーで結ぶ) |
|
宮崎県県立学校事務におけるOA化の特徴
- しっかりした研究会組織と活発な研究会活動(仲間意識)
- わかりやすいプログラム言語によるシステム開発(日本語の重要性)
- 学校現場事務職員の手によるシステム開発(手作りの良さ)
- 地元民間ソフト業者との連携(メンテナンスやサポートの迅速性)
- 県教育委員会の全面的な理解と支援
当初よりデータベースにした理由
- 学校事務手引書の作成を通して、データの総合的な利用が芽生えつつあった。
- ワープロや表計算は個人レベルで使われており、MS-DOS環境での共有化が図られつつあった。
- 生徒データを用いた証明書発行や、支出データを整理する予算管理が研究されていた。
- 将来的なビジョンから各ワークステーション間のネットワーク化が念頭にあった。
- 専門的知識を要しないリレーショナルデータベースソフトがいくつか市販されていた。(当時)
市販ソフトのうち「桐」を選択した理由
- 他のプログラム言語と違って、日本語でプログラム作成ができるのでなじみやすい。
- コマンドの種類が限定され、素人でも簡単に入力することができる。
- コマンドを分割して作成できるので、組織的にプログラム開発をすることができる。
- プログラムがわかりやすいので、他人でも修正がやりやすい。
- NEC製だけでなく、富士通製のパソコンにも利用できるようになった。(当時)
システムをソフト業者に委譲した理由
- システム開発は多くの時間と労力を必要とし、OA委員の休日や休暇を犠牲にしなければならなかった。
- システムの本数が多くなり、バグ修正やサポートに忙殺され、OA委員の負担になっていた。
- システム開発や修正に対する要望が高度になり、素人での開発には限界があった。
- 人事異動等でシステム開発したOA委員が相次いで県立学校を転出した。
- 県外からのシステム譲渡要請が相次ぎ、著作権や無償での譲渡問題で苦慮していた。
- 県内に誠意のあるソフト業者が見つかった。
Windows版で「桐」を選択した理由
- DOS版からの移行作業が簡単にできる。
- DOS版からの操作性を継承することができる。
- 印刷帳票の表現力が優れている。
今後の課題
- 情報教育リテラシー(著作権、セキュリティ、個人情報保護)の普及活動
- ネットワーク上で取り扱う情報の整理・統合
- 専門技術者の常駐ないしサポート体制
- 職員一人1台のパソコン整備とマシンのメンテナンス