 
明治13年(1880)、高木兼寛が留学先のイギリスから帰国すると、我が国では脚気(かっけ)にかかる海軍将兵の割合が常に30%近くであるという状況があり、脚気の予防と治療は急務でした。
こうした中で、高木兼寛が確立した予防法は、近代医学の発展に大きく貢献したのです。


明治時代、難病といわれた脚気から人々を救うために行った兼寛の予防法は、それまでの白米のご飯に麦を半分ずつ混ぜ、タンパク質を多くとるようにするものでした。
この予防法は、後に、そのタンパク質に含まれている栄養素が「ビタミン」であることが発見され、兼寛は、ビタミン発見の先駆者として大きく貢献したのでした。

|