
1910年に生まれ,大正デモクラシーの時代に育ちました。幼少の時から俊敏で温厚な人柄でした。
貞一郎の学歴は、普通の人より2年短縮で大学までを終わっています。旧制中学には、小学校5年修了で入学,旧制第五高等学校には小林中学校4年修了で入学しました。秀才コースを進んだ青年でした。
大学卒業の年に大蔵省に入り、2年後の24歳で静岡税務署長に登用されました。太平洋戦争中から本省課長、参事官などを務め,その後数々の要職を経て1974年に日銀総裁になりました。
官僚のトップの要職にあっても、少しも高ぶることがなく、政治家に追従することもありませんでした。人徳温容の人として慕われました。
1980年に勲一等旭日大綬賞を受け、小林市の名誉市民にもなりました。
※官僚〜国の行政面の仕事に従事する人たちのこと

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総裁官房次長として、戦後の混乱した我が国経済を復興・安定させるための重要な政策作りに貢献しました。 |
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主計局長として、4年もの間、朝鮮動乱休戦後の激動する社会経済情勢において健全な国家予算の編成に貢献しました。 |
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大蔵事務次官として、「もはや戦後ではない」との言葉に象徴されるような経済の転換期であった時代に、三代の大蔵大臣を補佐し、財政・金融政策事務の最高責任者として大いに指導性を発揮しました。 |
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東京証券取引所理事長として、証券不況後の証券業界の建直しのため、証券会社の体質改善と証券流通市場の抜本的改善に努力しました。 |
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日本銀行総裁として、第一次石油ショック後の長期不況、第二次石油ショックに伴う物価の急騰、国際収支及び円相場の激変等の様々な難局に直面しつつも、その都度優れた識見と通貨当局者としての不屈の信念をもって、極めて適切な金融政策を行い、通貨価値の維持、安定に尽力しました。
(「森永貞一郎おもい出集」より一部抜粋) |

明治43年(1910) |
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宮崎県小林市で出生 |
昭和6年(1931) |
21歳 |
東大法学部を卒業大蔵省入省 |
昭和9年(1934) |
24歳 |
静岡税務署長 |
昭和10年(1935) |
25歳 |
板橋税務署長 |
昭和17年(1942) |
32歳 |
大蔵省大臣官房企画課長 |
昭和22年(1947) |
37歳 |
大蔵省大臣官房長 |
昭和23年1948) |
38歳 |
経済安定本部総裁官房次長 |
昭和28年(1953) |
43歳 |
大蔵省主計局長 |
昭和32年(1957) |
47歳 |
大蔵省事務次官 |
昭和37年(1962) |
52歳 |
日本輸出入銀行総裁 |
昭和42年(1967) |
57歳 |
東京証券取引所理事長 |
昭和49年(1974) |
64歳 |
日本銀行総裁 |
昭和55年(1980) |
70歳 |
勲一等旭日大綬賞 |
昭和61年(1986) |
76歳 |
5月30日死去
6月小林名誉市民 |
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