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どんなことをした人なんだろう


いとうマンショの経歴・業績いとうマンショ肖像画

 天正10年(1582年)、マンショがわずか13歳で、日本最初の天正遣欧使節の代表となり、ローマに渡りました。
 日本を出てから3年後、イタリアに到着すると、ローマ市民に熱狂的な歓迎をうけ、教皇グレゴリオ13世に謁見(えっけん)しました。美しい衣装を付け、大小の刀を腰に、ふさのある帽子をかぶった純真華麗なマンショたちの姿や堂々とした言動は国々の人々に好印象を与えました。1年4ヶ月の滞在で、ヨーロッパ社会・キリスト教のすばらしさを学び、ヨーロッパの文化や印刷機、楽器、観測機、海図、などを持って長崎に帰国しました。
  キリスト教布教と国際化を見すえて、人民の幸せのために生涯をかけた人です。

※天正遣欧使節: 1582年キリシタン大名大村純忠・大友義鎮・有馬晴信が、宣教師ヴァリニャーノの勧めによって、ローマ教皇グレゴリオ13世及びスペイン国王フェリペ2世のもとに派遣した少年使節。
※謁見(えっけん): 身分の高い人にお目にかかること。

いとうマンショ行程表
少年使節団ローマにゅうふ
りゃくねんぷ

永禄12年(1569)   日向の都於郡城に生まれる。
天正 5年(1577)

8歳

日向から豊後(大分)に逃れる。
天正 8年(1580) 11歳 有馬のセミナリオに入校する。
天正10年(1582) 13歳 天正遣欧使節、長崎を出港しマカオに到着する。
天正11年(1583) 14歳 インドのゴアに到着する。
天正12年(1584) 15歳 喜望峰を回りポルトガル、リスボンに到着する。
スペイン国王フェリペ2世に謁見する 。
天正13年(1585) 16歳 イタリアに到着する。
教皇 グレゴリオ13世に謁見する。
教皇より金拍車騎士に叙される。
天正14年(1586) 17歳 リスボンを出港し、帰路につく。
天正16年(1588) 19歳

マカオに到着する。

天正18年(1590) 21歳 長崎に帰着する。
天正19年(1591) 22歳 聚楽第で、豊臣秀吉に謁見する。
慶長 6年(1601) 32歳 マカオで日本人の信者を教育する。
慶長16年(1611) 42歳 飫肥に帰郷する。

慶長17年(1612)

43歳 長崎のコレジオ教会にて熱病のために亡くなる。

 


 
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