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弥生時代・古墳時代の集落
 
 延岡市北浦町の「中野内(なかのうち)遺跡」では、弥生時代後期[今から約2000年前]と古墳時代中ごろ[今から約1600年前]の集落のようすがわかっています。
 弥生時代の竪穴住居のあとは、四角い形のものが多いのですが、中には花びらのような変わった形のものもあります。

 中野内遺跡は海に近く、今と同じように魚や貝も食べていたようです。
 貝がらや魚の骨をまとめてすてているところが見つかっています。
写真 弥生時代の花びらがたたてあな住居のあと
弥生時代の花びら形竪穴住居のあと
延岡市北浦町教育委員会提供


 古墳時代の竪穴住居のあとは、四角い形をしています。住居の中から、なべのように煮炊き(にたき)に使った土器(どき)、食器として使われた土器などが見つかっています。
写真 古墳時代のたてあな住居のあと 写真 発掘された土器
古墳時代の竪穴住居のあと
北浦町教育委員会提供
発掘された土器
延岡市教育委員会提供
*土器=粘土を焼いて作った器(うつわ)
 
イメージ 古墳時代の集落の様子
古墳時代の集落の様子を想像してみる・・・
 
 高鍋町にある「下耳切(しもみみきれ)第3遺跡」では、古墳時代終わりごろ(約1350年まえ)の竪穴住居あとと、掘立柱(ほったてばしら)建物と呼ばれる建物あとがたくさん見つかりました。掘立柱建物のなかには、倉庫と考えられるものがあります。米などの穀物(こくもつ)のたくわえがあったのでしょう。
 すぐ近くには古墳もあります。家のそばに、お墓があったことになります。
写真 古墳時代終わりごろの集落のあと
古墳時代終わりごろの集落のあと
   
 下耳切第3遺跡では、かまどで煮炊き(にたき)をしていたようすが明らかになっています。
 かまどは、竪穴住居のかべぎわに、粘土を使ってつくられています。
写真 かまど
ここで料理を・・・ かまど
 
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      発掘調査された主な集落遺跡
 

 
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