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平成17年度 第44号から |
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知る、ということは幸せなことだとばかり思っていた。知ることで自分の知らをなかった世界に触れることができ、きっとその向こう側に輝くものがあるのだと、信じて疑わなかった。
だからこそ、この本から受けたインパクトは計り知れなかった。周囲から自分の評価を知ってしまったばかりに、辛い現実と向き合わなければならなくなったチャーリーの姿を思い浮かべると、「知る」ことに少しだけ恐怖を感じてしまった。
これと似たようなことはたくさんある。たとえばインフォームドコンセント。この場合患者が「知る」という点は大事にしなければならないが、やはりそこには多少の不安がつきまとうのではないだろうか。自分が患っている病名は?治療法の有無は?治る可能性は?知らなければならないことを知るには、やはり少なからず覚悟が必要だ。
地球誕生後、世界は知の吸収を通して発展し、今日の世界を形づくってきた。日本も例外ではない。もう何千年も昔から外国との交わりの中で異文化を知り、それをアレンジすることで日本文化を築き上げた。その意味で知ることがもたらす幸福もまた、否定できるものではない。今のこの生活を、満足しているとまではいかなくても不満だらけだと思っている人はほとんどいないに違いない。
しかし、自分がもしも人類最初の人間であると仮定したらどうだろう。ストレスもない、戦争もない、そんな世界も悪くはないと思えないだろうか。火のおこし方を知ってしまったばかりに、自然のあらゆる法則を知ってしまったばかりにこのストレス社会と幾多の戦争が生み出されたのであれば、とれもまた、知の暗い部分であると言わざるを得ない。
つまり、知ることは明るい部分と暗い部分を持っているということだろう。安易に何かを知ろうとする姿勢は、物事を学ぶにはふさわしくないのではないか。いい加減にやればいい、少しくらい手を抜いてもいい、そう思うくらいなら学ばなければいいのだ。これは自分へ戒めでもある。何かを知ることで、明るい未来も描けるし、その裏には暗い部分も現れてくる。「知る」ことはこんなに複雑なのに、どうしてそれを安易な気持ちで受け取ることができるだろう。知ることには、それなりの覚悟が必要なはずだ。
世界はこれからどうなってゆくのだろう。人口問題、温暖化、核の脅威、そして石油枯渇の]デー。私たちが解決すべき課題は山積しているのに「知らないことはまだまだある。そして、この複雑化した社会の中で「知る」ことはこれまで以上に厳しくなっていくのではないだろうか。更に辛い事実・現実・真実が、知ることの向こう側で待ち受けているかもしれないのだ。
私たちは強くならなければならない。知ることに耐えうる心の強さ、その知力を生かし問題を解決していく意思の強さ、知的な強さ。
人間の敵はもはや人間ではない。人間どうしが争い、傷つけ合う時代は終わった。次は自分と戦わなければなちない。本当の意味で強くなるために。
私たちは、「知の覚悟」という壁を超えることができるだろうか。そして、その壁の向こうにいったい何を見つけるのだろうか。
この壁を超えることがいいことなのかは分からない。ひょっとするとその先に待ち受けているのは絶望かもしれない。
だからこそ、知ることは求めてくる。「あなたは、この壁の向こうにあるものを知る覚悟ができていますか。」と。
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